前にも書いたことがあるが、ぼくが本格的に本を読み出したのは、高校3年の頃からだった。 その頃ぼくはミュージシャンを目指していたのだが、どうも作詞がだめだった。 もちろん人生経験が浅かったせいもある。 しかし、同じ世代の人間でもいい詞を書いている人はたくさんいた。 「この差は何だ?」と考えた。 そして「これは読書量の差だ」と思うに至った。 高3の頃は、クラスの中の浮いた存在であったため、休み時間なども一人でいることが多かった。 この一人でいることが、大いに読書に役立ったのだ。 その頃よく読んでいた本は、なぜか宗教書だった。 宗教書と書くと、何かカルト的なものを想像するかもしれないが、ぼくが読んでいた本はそういう類の本ではなく、当時よく読まれていた高田好胤師の一連の本や、『般若心経入門』などであった。
詩を読み出したのは、予備校に通い出してからだった。 新潮文庫や角川文庫から出ている『○○詩集』なる本は、ほとんど読んだ。 その中でも特に好きだったのが、中原中也と高村光太郎だった。 中也には詩の作法を習い、光太郎には崇高な精神を教わった。 中国の古典も、その頃読んだ三国志の影響から読み始めた。 特に老荘思想には惹かれるものがあり、よく読んだ。 が、その思想にのめり込んでしまい、予備校の勉強が馬鹿らしく思えるようになってきた。 そして予備校を退学してしまった。
東京にいた頃は、老荘思想と併せて再び仏教書を読むようになった。 そのせいで、ぼくは大人であることを避けるようになった。 その頃によく読んだ仏教書は法句経だった。 そのお経は「無邪気」を説いてあった。 「恰好つけても何にもならない。あるがままが一番」という老荘思想にも通じる内容に、ぼくは感化されたのだ。 ぼくが作詞のために読み始めた本は、結局老荘思想や仏教関係に行き着いたのだった。
さて、そういった本が作詞に何か好影響を及ぼしたのか? 答は否である。 確かに人生の歌のようなものは存在するが、人の心には響かない。 やはり作詞の基本は、より身近な「好いた」「くっついた」「別れた」なのである。 そういう路線をぼくは目指して、ぼくは本を読み始めたのだ。 が、先にも言ったとおり、結果的に行き着いたのは老荘思想や仏教の本だった。 そういった本には、そういうことは一切書いてない。 …いや、あることはある。 それは「別れ」だ。 が、その別れは「恋愛の別れ」ではない。 「永遠の別れ」である。 そういうわけで、ぼくが作った恋歌は、変に小難しくかつ主観的なものになっている。 そこには「しぐさ」が見えない。 言い換えれば「色気」がないのだ。 恋愛ものを読んでおくべきだった、と思う。
ちなみに、その後作詞を諦めたぼくは、人生のために本を読み始めた。 が、その行き着いた先は、歴史書や中国・韓国・北朝鮮のこき下ろし本だった。 どうも予定どおりにはいかない。
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