さすがに、30万以上の人口を抱える区の急患センターだけあって、かなりの人が来ている。 特に多いのが赤ちゃん連れだった。 待合室、診察室、レントゲン室など、至る所から赤ちゃんの泣き声がする。
次に多いのが、老人だった。 ぼくたちが座っているところに、老人の夫婦連れがやって来た。 じいさんのほうが悪いようで、待合室に置いてある血圧計で、何度も血圧を測っていたのだが、そのたびに文句を言っていた。 「あっ、また上が5上がっとる。おれは、だいたい血圧が低いんやけ、5も上がったらフラフラするやないか。何ですぐに診察してくれんとか!」 フラフラするならジッとしていればいいのに、血圧を測るたびに立ち上がって、待合室の中を「診察はまだか!?」と文句を言いながら歩き回っている。 見かねた看護婦が「今、一人診てますから、もう少しお待ち下さい。それが終わってから診察しますので。ね、そこに座って」となだめた。 じいさんは、その言葉で大人しくなった。 が、看護婦がいなくなると、また同じように「診察はまだか」と怒鳴りながら、待合室の中を歩き回っていた。
さて、嫁さんのほうだが、レントゲンを撮った後、待合室に戻り、診察を待っていた。 しかし、ぼくは面白くなかった。 赤ん坊の泣き声と、じいさんの怒号、異様に辛気くさい待合室。 元々病院嫌いなので、こういうことに耐えきれなかった。 そこで、遊ぶことにした。
ぼくは立ち上がって、おもむろに嫁さんの車いすのハンドルをとり、ゆっくりと壁際まで運んで行った。 嫁さんが「どこ行くと?」と聞いたので、ぼくは「今にわかる」と答えた。 そして、嫁さんを壁向きに置き、ぼくは元の席に戻った。 「何、これ。戻して」 「だめ」 「ねえ」 「うるさい。人様に顔をさらすんじゃねえ。しばらくそうしてろ」 「嫌っちゃ、戻して」 「病院内では静かにしろ」 そう言ってぼくは、入口にあった自動販売機まで、ジュースを買いに行った。
待合室に戻ってくると、嫁さんの後ろに看護婦が立って、「どうしたんですか?」などと聞いていた。 嫁さんは「主人がここに持ってきたんです」と言った。 看護婦はぼくの方を向き、「どうかしたんですか?」と聞いた。 そこでぼくは、「普段の行いが悪いから、反省させているんですよ」と答えた。 「かわいそうに。戻してやって下さいよ」 「いや、孤独が好きだから、そのままにしといてやって下さい」 すると、看護婦が、嫁さんの耳元で何か囁いた。 嫁さんは小声で、「いや、いつもこうなんですよ。意地が悪いから」と言っていた。
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