2004年03月14日(日) |
PM6時32分、職場にて記す |
今日は、4月1日からの総額表示に向けて、プライスの貼り替えを行った。 別に重労働でも何でもない作業なのだが、それでも高い所に置いてある商品プライスの貼り替えは疲れる。 先月以来ずっと首の調子が思わしくないままだから、どうしても首をかばってしまい、変に肩に力が入ってしまう。 おかげで、首のほうは何ともなかった。 が、そのツケが肩に来た。
作業後、無意識に肩をかばう自分に気がついた。 おかしいなと思い、肩の付け根部分を触ってみると、一箇所、ズキンと痛みの走る所がある。
ところで、肩が痛い時、昔なら『サインはV』のジュン・サンダースをすぐに思い浮かべたものである。 建設現場の下を歩いていた朝丘ユミの上から、資材が落ちてきた。 それを、いっしょにいたジュン・サンダースがとっさにかばい、肩を痛めてしまった。 病院で診察した結果、ジュンの肩に、悪性の腫瘍があるのがわかった。 その後、ジュンは死んでしまうのだ。 それを見て以来、ぼくは肩に痛みを覚えると、そのことを思い出し、「骨肉腫じゃないか」と思うようになった。 この心の傷は後々まで続く。
社会に出てから、肩こりのため、しょっちゅう肩に痛みが走るようになった。 それ以来、肩の痛みは、すべて肩こりから来るものだと思うようになった。 それが幸いしたのか、長年悩まされていたジュン・サンダース症候群からは解放された。
話は元に戻るが、一度痛みが気になると、意識はそちらに集中してしまうことになり、最初はさほどでもなかった痛みが、徐々に重くのしかかってくる。 そのうち、痛みに心を占領されてしまうことになる。 そうなると、思うこと思うことが現実になってくる。 例えば、「こう腕を曲げたら、痛いんじゃないか」と思えば、その通り痛くなる。 「ここから上には、腕が上がらないんじゃないだろうか」と思えば、そのとおりに腕が上がらなくなる。
こんな暗示にかかっていくうちに、ついに肩は最悪の状態になった。 歩く時、腕を振るたびに肩に激痛が走るようになったのだ。 これはどうにかしないとと思い、何人かの人に「湿布持ってない?」と尋ねて回った。 幸い、一人のパートさんが湿布を持っていた。
湿布を貼った後に、そのパートさんが言った。 「それは五十肩よ、五十肩」 「まだ、四十代やけ、四十肩やろ」 「いいや、五十肩!」 その人のことを、ぼくはいつも「おばちゃん」と呼んでいるので、仕返しのつもりでそう言ったのだろう。 が、肩の痛みのため、その相手をする元気が、ぼくにはなかった。
さて、仕事が終われば、車を運転して帰らなければならない。 もしこのまま腕が上がらなかったら、困ったことになる。 腕が上がらないということは、バックが出来ないということに繋がるのだ。 「さて、どうしよう?」 いったい、ぼくは無事に帰れるのだろうか? もし、無事に帰れなかったとしたら、この文章は永遠に日の目を見ることはないだろう。
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