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2004年02月29日(日) 何とかなる

老子に、『無為にして為さざるなし』という言葉がある。
60年代後半にヒッピーなる人たちが現れたが、彼らのバイブルが老子であり、その考え方の根幹がこの言葉だったという。

さて、この無為という言葉だが、一般には「何もしない」という意味だと思われている。
確かにそういう意味もあるのだが、老子はそういうふうにこの言葉を用いているのではない。
彼は、「何をしないことをする」というニュアンスで、この言葉を用いたのだ。
「何もしない」と「何もしないことをする」、この二つの意味は似ているが、微妙に違っている。
前者は受動的で、後者は能動的である。

この二つの意味を、ぼくは「なるがままに」と「何とかなる」という言葉で解釈している。
確かにぼくも、初めて老子を読んだ時は、「なるがままに」というふうに捉えていた。
そして、その「なるがままに」を実践していた。
が、次第に目に力がなくなり、覇気がなくなっていくのを感じた。
厭世観というのか、だんだんやる気さえ失ってしまった。
「老子も厭世観の人だったのか?」と思い、いろいろな書物を調べてみると、どうもそういう人ではなかったらしい。
「なるがままに」、と、こんなことを言いながらも、一番の関心事は政治だったというから、実にしたたか者である、と当時は思っていた。
が、後年それが間違いだと気づいた。
彼は政治の要諦として、「無手勝流がよい」と説いていたのだ。
最初から規範などを作ってしまうと、人はそこから外れることを悪と考えるようになる。
そうなると、臨機応変の対応が出来なくなり、だんだん政治は停滞していく。
そこで、老子は臨機応変に対応出来る「無手勝流」が一番、と説いたのだ。

その「無手勝流」を、ぼくは「何とかなる」というふうに捉えたわけだ。
そう捉えて以来、ぼくは「なるがままに」などとは言わなくなった。
というより、考えなくなった。
何か事が起こると、「何とかなる」と思うようになったのだ。

ぼくが、今住んでいるのはマンションである。
賃貸ではなく、購入したものだ。
ある日のこと、何気なく朝刊に入っていた折り込みチラシを見ていると、「マンション分譲開始」という文字が目に飛び込んできた。
場所を見ると、実家のすぐそばである。
その日まで、マンションなんてまったく興味がなかったのだが、そのチラシを見て、なぜか「モデルルームを見に行こう」という気になった。
そこでその日の午後、ぼくはそのマンションに行ってみた。
一通り説明を受け、モデルルームを見せてもらった。
その時だった。
「予約します」というセリフが、勝手に口をついて出た。

そういうつもりは毛頭なかった。
このマンションを買った当時、ぼくの年収は少なかった。
しかも、その頃ぼくは、車のローンも抱えていた。
こんな性格だから、貯金があるわけでもなかった。
それでも、そう言ったことに対する後悔は一切なかった。
その時、頭の中にあったのは、「何とかなるやろう」言葉だった。
あれから、数年経つ。
「なるがままに」と諦めるのではなく、「何とかなる」という信念を持って事に当たったことがよかったのか、今のところ不思議と何とかなっている。


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