2004年02月23日(月) |
ギター生活復活(中) |
スナックで歌うと言っても、別にステージが用意されているわけではなかった。 カウンターで、他のお客さんと肩を並べた状態で歌うだけだった。 その日は、たまたま他のお客さんはおらず、店にいるのはママさんと友人とぼくの3人だけだった。
店に行く前の日、友人に電話をかけ、「ギターは持って行かんでいいんか?」と尋ねた。 「ああ、それはいいよ。店にちゃんとギターが置いてあるけ、大丈夫」 それを聞いて安心した。 当時はJRで通勤していたので、最小限の荷物だけしか持って行ってなかった。 いつも満員だからである。 そんな中に、ギターを持って乗り込むというのは狂気の沙汰である。
そういえば、東京にいた頃、帰省のたびにギターを持って帰っていたのだが、そのためにいつもきつい思いをしていた。 まあ、飛行機で帰る時は、荷物が別になるのでよかった。 が、新幹線で帰る時はきつかった。 他の席に立てかけておくことも出来ないので、いつも抱きかかえるようにして席に座っていた。 そのために、自由がきかず、窮屈な思いをしたものだった。 必ず座れる新幹線でもこの有様なのだから、必ず座れない通勤電車での窮屈さと言ったらないだろう。
さてその日、友人と合流し、その店に向かった。 店では、ママさんとギターが待っていた。 ママさんは「そこに座って」と言って、ぼくをギターの横に座らせた。 そして、さっそく弾けと言う。 ぼくはおもむろにギターを手に取った。 「!!!」 これでは弾けない。 ネックが反って、弦が浮いてしまっているのだ。 ただでさえ握力が落ちているのに、この弦高では充分に音が出せない。 「他にギターはないんですか?」 「ごめんね。それだけしかないんよ」 まあ、どうせ腕も落ちていることだし、「これでもいいか」ということになり、そのギターを弾き始めた。
一曲歌い終わるたびに、ママさんから次のリクエストがくる。 だんだん、ギターを押さえる指が腫れ上がっていった。 「氷ないですか?」 「え、氷?あるよ」 そう言って、ママさんはコップに氷を入れてきた。 「何すると?」 「冷やすんです」 ぼくはそう言って、指をコップの中に突っ込んだ。 ある程度痛みが治まると、また次の歌をうたう。 こうやって、2時間以上、ぼくは拓郎の歌を歌い続けた。
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