2004年01月24日(土) |
ドキュメント1.22(下) |
途中までは順調だった。 ところが、ある程度慣れてきた所で不幸は起こった。 前のほうで、学生がバイクを噴かしていた。 それを見て、ぼくは「馬鹿やのう。こんな雪の日にバイクなんか乗って」とあざ笑った。 その瞬間だった。 目の前の風景が、突然変ったのだ。 気がつくと、ぼくの目は自分のへその部分を見ていた。 そう、滑って転んでしまったのだ。 まるで、出足払いを喰らわさようだった。 へそを見たのは、とっさに受け身が出たからだ。 柔道をやめてから30年近くなるが、昔取った杵柄というか、ちゃんと体は覚えているものである。 おかげで、尻を軽く打った程度で助かった。
駅が近くなるにつれ、すれ違う人の数が多くなった。 その人たちも白くなっている所を歩いているので、だんだん歩く範囲が少なくなっていった。 その人が先にその白い部分に入ってこちらに向かってきた場合、仁義としてこちらが避けなければならない。 先ほどの転倒が応えてか、歩くのに慎重になっていたぼくは、その人が行きすぎるまで、じっとその場に立って待っていた。 すれ違う時、その人は怪訝な顔をして、ぼくのほうを見つめていた。
普段より1時間近く遅くなったものの、何とか無事に家に着いた。 それにしても、今回の収穫は大きかった。 まず、雪道の歩き方を身をもって知ったこと。 これは次回以降に繋がるだろう。 傘も馬鹿にならないアイテムである。
次に、受け身を忘れていなかったこと。 というより、「絶対に転ばない」と力んでいるよりも、「転ぶのもしかたない」と開き直っていたほうが、転んだ時にケガをしない、ということがわかったことだ。 今回転んだ時、ぼくはなぜか無心だった。 それは、歩いている途中に、一度は転ぶだろうと覚悟をしていたからだと思う。 その覚悟を、体が「じゃあ、うまく転ばせてもらいます」と受け取ったのだろう。 もし、「絶対転ばん」と思っていたら、筋肉や筋に余計な力みが出て、不自然な転び方になっていたことだろう。
何よりも大きな収穫は、顔を寒気にさらさなければ、寒さは半減すると知ったことである。 このことを知ったことは大きい。 これから防寒着を買う時は、フードの付いたやつを買えばいいわけだ。 それも飾りで付いているものではなく、実用的なものを。 そして寒い時は、躊躇せずフードを被る。 まあ、そうすれば、変な人と思われるかもしれないが、それでも寒いよりはましである。
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