中国には、四霊と呼ばれる霊獣がいる。 龍、麒麟、鳳凰、亀の4つである。 まあ、いると言っても、実在する動物は亀だけで、あとは想像上の動物である。 昔、これらの霊獣が見つかることは、良いことの前兆、つまり吉瑞だとされてきた。
中国の史書には、新しい王朝が誕生する前に、「龍が昇天した」「鳳凰の飛ぶ姿が確認された」「麒麟が捕まった」などといった記述がよく見られる。 過去、漢の劉邦を赤龍と呼び、諸葛孔明を臥龍と呼んだように、中国人は、偉大な人物を霊獣に喩えることが多い。 歴代の中国人は、それだけ霊獣を神聖視していたのだ。 また、中国で生まれた人相学も、龍顔や鳳眼は大吉相としている。
さて、今日のこと。 夕方、パートさんが帰る前に、ぼくは外にタバコを吸いに行った。 夕闇がかかる西の空に、一つの大きな雲があった。 その雲の形が、ぼくには四霊の一つである麒麟に見えた。 雲はゆっくりと、北に向かって流れていく。 その姿は、まさに天翔る麒麟の姿そのものであった。 ふと、ぼくは「これは吉兆だ」と思った。 となれば、今年はかなりいいことがある。 ぼくの心の中は、喜びで一杯になった。
「たかが雲の形にすぎないじゃないか。そう見えるのはあくまでもあんたの想像であって、それを吉兆とは大げさな」、と思われるかもしれない。 しかし、元々霊獣は人間の想像の上に成り立つ生き物である。 たとえそれが雲でも、その人が麒麟だと想像すれば、麒麟なのである。 例えば、ぼくの知り合いに、ヘビを龍と捉える人がいる。 その人は、ヘビを見たら、いつもいいことがあると言っていた。 なぜなら、彼にとってヘビは龍であるからである。 これと同じことだ。
タバコを吸い終え、職場に帰りながら考えた。 「吉兆って、どんないいことが起こるんだろう? もしかしたら、今年の願い事が叶うということだろうか?」 今年の願い事は、昨日の日記にも書いたように、『今年一年、無事でありますように』だった。 「ということは、吉兆というのは、今年一年が無事であるということだけじゃないか。 ああ、失敗した。せっかく願い事を叶えてもらうなら、もっと大きなことを願えばよかった…」 喜びで一杯だった心の中は、いらんことを考えたせいで、一瞬にして損した気持ちで一杯になった。
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