頑張る40代!plus

2003年10月10日(金) 未来のこと

人間の好奇心というのは、自分の未来に対して最も旺盛なのではないだろうか。
将来どういう自分になっているのか知りたい、という人がいるかもしれない。
あと何年生きられるか知りたい、と思っている人もいるかもしれない。
若い人なら、あの人と将来結ばれるかどうかを知りたい、という人もいるだろう。
そんなに遠くのことを考えないという人でも、例えば明日明後日のことだとか、一年後のことは、垣間見てみたいと思っているのではないだろうか。

九月のことだったが、ぼくはダイエーの優勝が近づいた時、ほとんどの試合を録画しておいた。
それは、優勝の決定試合を収めておきたかったからだ。
面白いもので、野球の試合を録画すると、中継やスポーツニュースを一切見たくなくなるものだ。
その録画を見るまでは、絶対に結果を知りたくないからである。
知ってしまうと、もう見たくなくなるのだ。

もしかしたら、人が未来のことを知ってしまうと、野球録画の場合と同じようなことになるのではないだろうか。
未来を知ってしまったから、もう何も努力したくないなどという人が出てくるだろう。
そこには、未来を知ったからそうなったという、因果関係があるのだろうが。
中には未来の自分の姿を知ってしまったがために、悲観して自殺するという人も出てくるかもしれない。
しかし、自分が見た未来まで、その人は死ぬことが出来ない。
きっと、その後その人は、未来を見たことを後悔するだろう。

今ぼくは、10年後の生活を知りたいと切に思っている。
その頃定年を迎えるが、それまで今の仕事を続けているのだろうか。
今、いろいろなローンを抱えているが、その頃には無事に払い終えているだろうか。
そういうことが、今一番の関心事であるからだ。

今日、ふと「そういうことを考える歳になったんだなあ」などと感慨に耽っていた。
ところが、古い書き残しなどを見てみると、いつの時代もそういうことを書いてある。
例えば76年のノートには「10年後、ぼくはいったいどういうなっているのだろう」などと書いている。
そういえば、その頃から急に占いに興味を示しだしたのだ。

しかし、もしその時に未来のことがわかってしまっていたら、いったいぼくはどうなっていただろうか。
そう考えるのは、86年の自分が76年当時に期待していた自分になってなかったからだ。
仕事にしても然り、恋愛にしても然りである。
もし、その当時未来を知ってしまっていたら、おそらく悲観して何の望みも持てなかっただろう。

やはり、未来を知りたいという好奇心よりも、未来はこうなっていようという想像力のほうが大切なのだろう。

はい、頑張ります。


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