2003年09月09日(火) |
9月の思い出 その8 |
【『ふるさとの土をいじる』 陶芸家 ○○さん 彼は学生の頃に陶芸に魅せられたという。 卒業後、他の学生と同じようにサラリーマンになったものの、陶芸を諦めきれずに脱サラ。ある陶芸家に弟子入りした。 「食うていけるかどうかわからんかったけど、これがおれの夢やったからね」 十数年の歳月を経て、ようやくその3年前、この地に窯元を開くことになる。 「今はまだ有名じゃない焼き物だけど、そのうち熊本、いや九州一有名な窯元になってやるよ」 そう語る彼の目は、キラキラと輝いていた。】
ぼくが、もしこの取材に成功し、本に掲載されていたとしたら、上記のような文章を載せていただろう。
30分ほど話し込んだだろうか。 そこにお客さんがやってきた。 ぼくは邪魔しちゃ悪いと思い、帰ることにした。 「それでは帰ります。いろいろいいお話を聞かせてくれて、ありがとうございました。この窯元が有名になるように北九州から応援しています。頑張って下さい」 「あんたこそ、いい詩や音楽を作ってください。期待してます」 ぼくはある決心をして、その窯元をあとにした。
窯元を出たのは12時頃だった。 前日までなら「じゃ、次を当たろう」と電話をかけるところだが、陶芸家と話したことで、「もうそんなことはどうでもいい」という気持ちになっていた。 「じゃあ、これから夜までどうやって過ごそうか?」 何気なくポケットを探ってみると、お金がない。 電話のかけすぎで、その日の活動費を遣い果たしていたのだ。 もちろん昼食代は別に確保している。 「どうしよう」と悩んでも、どうなるものではない。 ぼくは昼食をとることにした。
昼食を食べながら、これからのことを考えた。 「このままこの会社にいても、ろくな事はない」 その会社の給料は5万円だった。 その前に働いていた長崎屋では、アルバイトとはいえ10万円以上はもらっていた。 実に半額以下である。 しかも、北九州から博多までの交通費は一切出ないときている。 そろそろ蓄えも底をつき始めている。 そのままその会社にいても、給料は交通費で飛んでしまう。 というより、赤字である。 前々から「辞める」という言葉が頭の中をちらついてはいたが、そこまでの決心が出来ないでいた。
そこに、先ほどの陶芸家の『夢を諦めるな』という話である。 その言葉に、ようやく目が覚める思いがした。 「またアルバイトでもしながら、夢を追いかけていこう」 ようやく決心が付いた。
午後1時に店を出た。 交通費がないけどどうするか。 じゃあ、歩いて帰ろう。 ということで、ぼくは荒尾から玉名まで歩くことにした。 とはいえ、道を知らない。 しかし、南のほうに歩いていけば何とかなるだろう。 ぼくは道を迷いながらも南に歩いていった。 途中で雨が降り出したが、頓着せず歩き続けた。
|