2003年09月06日(土) |
9月の思い出 その5 |
さて、研修期間が終わり、いよいよ活動開始となった。 まずは手始めに、福岡市内の魚屋をあたれという指示が出た。 朝から電話をかけまくった。 もちろんマニュアル通りに話さなければならないのだが、ぼくは無視してぼくなりの言葉で話した。 「月刊○○のしろげしんたといいます。本日電話したのは、最近子供たちの魚離れということが世間で言われてますが、そういう風潮を魚屋さんがどう捉え、またどういう苦労をされているのかをぜひ聞きたいと思いまして、電話をかけた次第です。都合のいい時間がありましたら、こちらから取材に伺いたいと思うのですが」、という具合である。
反応は悪かった。 鮮魚業界全体が四苦八苦やっていた頃なのに、そんな暇があるはずがなかった。 第一、こういう電話は実にうさんくさい。 ぼく自身も、後にこういう電話を何度かもらったことがあるが、そのたびに断っている。 だいたい、『月刊○○』というのを、どれだけの人が知っているというのだ。 知りもしない雑誌の取材に誰が応じてくれるというのだろうか。 ところが、世の中にはおめでたい人もいるもので、「ぜひ来てください」などという人も中にはいるのだ。 おそらく名誉欲や自己顕示欲が強い人なのだろう。 そう、この会社は、そういう人たちを食い物にしていたのだった。
熊本に出張するまでの間、こういう電話ばかりかけていた。 午前中にうまくアポイントが取れれば、午後からその取材に向かう。 取れない場合は、午後から再び電話である。 ぼくはこういう電話をかけるのが大嫌いだったため、極端に成績が悪かった。 とはいえ、ぜんぜん取れなかったわけではない。 何度か、そういうおめでたい人に当たった。 そこでさっそく喜び勇んで会社を出る。 先方に着いて、取材も滞りなく終わる。 ところが、最後でいつもつまずいた。 そう、掲載料である。 そこまで、快く取材を受けていた人も、掲載料の段になると、急に態度が変った。 「なんだ、金がいるんか。そんなわけのわからん本に金なんかださんわい」 「そういうことだろうとおもっとったばい」 「帰れ!」 そう言われるたびに、ぼくはこんな仕事に嫌気がさしていった。
実は、研修以来、ぼくはこの仕事に矛盾を感じていたのだ。 それは、こういう電話のかけ方や掲載料の取り方は真剣に教えるくせに、ライターの命である文章の書き方などは一切教えてくれないからだった。 そのへんをデスクたちに質すと、「君たちはプロなんだから、そういうことはちゃんと自分で勉強しなさい」と言って、相手にしてくれない。 そこで、ぼくの本屋通いが始まるのだが、本屋でそういう関係の本を読めば読むほど、その会社が、一般の出版業界とどれだけかけ離れているかがわかった。 そのうち、「何とくだらん会社に就職したんだ」と思うようになってきた。
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