2003年09月04日(木) |
9月の思い出 その3 |
この会社は福岡市にあった。 自宅から折尾駅まではバスで、折尾駅から博多駅までは国鉄で、そこから会社まではバスか、当時まだ走っていた路面電車で通っていた。 時間にしてだいたい1時間程度だったが、料金が馬鹿にならなかった。 往復すると2千円はかかるのだ。 そこで定期券を買おうと思った。 ところが、会社は「出張が多いので、定期券は買わないほうがいい」という。 しかも、「交通費は出張時以外は払わない」ということだった。 北九州から通っている人は、ぼく以外にも何人かいた。 その連中も、この話を聞いた時には難色を示した。 しかし、会社側はその答を用意していた。 「北九州から来ている人が何人かいるけど、交通費が大変だと思います。しかし、心配しないで下さい。2,3ヶ月後に北九州支社を開業する予定になっています。あなたたちは、その要因として採用されたのですから」 確かに、求人広告には『北九州支社、近日オープン』となっていた。 が、それまでの交通費を考えると憂鬱な気分になった。
さて、1週間して、ぼくたちの研修は終わった。 仕事の内容も、漠然ながら理解出来た。 要は本を作る仕事である。 その本とは、グラビア誌的な情報誌といった感じのものだった。 そこには、九州経済の動きや、著名人へのインタビュー、イベントの紹介、観光地の紹介などが書かれていた。 その中に人物紹介のページがあったのだが、そのページを、ぼくたち新米が埋めていくのだ。 毎月のテーマを決め、そのテーマに関連した職業の人たちを電話帳で探し、そこに電話をかけていく。 そこでアポイントが取れてから、はじめて取材に行く。 会社には、アポイントを取るためのマニュアルが用意されていた。 電話をかける時は、そのマニュアル通りにしゃべらなければならない。 研修中、毎日その訓練をさせられたものだった。
取材ももちろん自分でやる。 インタビューは当然のこと、時には写真まで自分で撮らなければならなかった。 そうやって取材した内容を、記事としてまとめるわけである。
ここまでは、一般のライターでもやることだろう。 ところが、この会社はここからが違った。 それは、取材した人を本に載せる場合、掲載料を取ることだった。 こちらから頼んでインタビューに行くのだから、何で金を取る必要があるのだろう。 これでは広告業と変らない。
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