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2003年09月01日(月) マジック 後編

その中でも、特に盛り上がっているのが、西日本新聞である。
マジックが点灯した翌日の朝刊、何と1面にデカデカと載っていた。
さらにその日は、スポーツ面はもちろん、社会面にも関連記事が載っていた。
マジック点灯ごときで1面に載るなどということは、全国紙ではあり得ないことだ。
さすがは地方紙である。

ところで、前にも書いたことがあるが、ぼくは、その西日本新聞をとっている。
別に書いている内容がいいからとか、主張が好きだからとかいう理由でとっているのではない。
どの新聞よりもホークスの記事が多く載っていて、しかもホークスが優勝したらホークス関連のグッズをもらえる。
そういう理由から、この新聞をとっているのである。

ところが、先日先輩にあった時にこんな話を聞いた。
その先輩も西日本新聞を取っているらしいのだが、西日本新聞が勧誘に来た時に「夕刊まで取ってくれたら、西日本スポーツ(西スポ)もお付けします」という特典をつけてもらったそうだ。
ということで、その先輩は、今でも西スポも入れてもらっているという。
うちの会社も、スポニチを入れるという条件で、毎日新聞の朝夕刊をとっている。
ところが、うちは、同じ販売店から西日本新聞朝夕刊に加え、産経新聞まで取っている。
それなのに、西スポは入らない。
これは考えものである。
優勝グッズや洗剤でごまかしやがって。
次の契約の時、ちょっとごねてみる必要がある。

さて、マジックに話を戻すが、マジックといって真っ先に思い出すのは、ダイエーホークスが初めて優勝した1999年のことである。
もちろんこの時、球団史上初のマジックが点灯したのだが、選手は「マジック」と言われてもピンとこなかったらしい。
城島なんかは、記者団に対して「マジックって何ですか?」と聞いていたという笑い話があるくらいだから、おそらくそれまで、チーム内で優勝の話題など出たことがなかったのだろう。
1989年の球団創立以来、それまでの最高位は98年の3位(同率3位だったため、前年の実績から4位扱いになった)だったので、それもうなずける。
それを考えると、今は強くなったものである。
それ以降、99年優勝、00年優勝、01年2位、02年2位、03年おそらく優勝、といつも優勝がらみのチームになっているのだから。

ホークスが最下位あたりをウロウロしていた頃の話だが、たまに勝った時のヒーローインタビューで、選手が「優勝を諦めたわけではありません!」と力強く言っていた。
そのインタビューを聞きながら、いつもぼくは期待とともに空しさを感じていたものである。
「残り40試合。あと30勝すれば、今季の勝ち越が決まる」と勝ち越しマジックを計算していた時代も、今となっては遠い昔のことのように思える。


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