【兵法】 昔、千葉周作の元に商人が訪れ、「私は命を狙われております。どうかやって防ぐ方法はないでしょうか」と言う。 それを聞いた周作は、「目を閉じて、刀を大上段に構え、相手の動く気配を感じたら、振り下ろしなさい」と教えたという。 後日、その商人に刀を向ける賊があった。 商人が周作の教えられた通りにやってみると、賊は何もせずに退散したということだ。 目を閉じるという不気味さに加え、動いたら切られるという殺気まで感じるものだから、うかつに手を出せなかった。 虚にして実、と言ったところだろうか。
とはいえ、商人としては生きた心地がしなかったに違いない。 強盗などをやる人間は、相手は怯えて何もしてこないことを予想して事を起こす。 そこで、こちらから相手の予想外の行動を起こしてやると、逆に強盗のほうが何も出来なくなる。 人間というのは、自分の予想していたことと反する行動を他人がとった場合、防衛本能が働いて引くものである。 おそらく、この賊が手を出さなかったのは、不気味さや殺気の前に、相手が予想外の行動を起こしたので何も出来なかったという本能的な要因もあったのだろう。 つまり、気を呑まれたということである。 気を呑まれる、すなわち戦意喪失。 戦意喪失、すなわち戦わずして勝つ。 これこそが兵法の極意である。
【大阪のじいさん】 午前中から何もすることがなく、前回の休みと同様、家の中でゴロゴロとしていた。 しかし、休みの日のゴロゴロを2回も続けると気が滅入ってくる。 そこで、昼からスーパー銭湯に行くことにした。 昨日の日記が大幅に遅れたせいで、家を出たのは夕方になってしまった。 夕方になると会社帰りの客が多くなると思っていたが、今日はそこまで人は多くなかった。
さて、脱衣場で衣服を脱ぎ、風呂場に入ろうとした時だった。 後ろから「こんなのが落ちてたんですよ」という女性の声がした。 見てみると、清掃のおばさんがティッシュを片手に持っている。 なんでも、誰かが脱衣場に痰を吐いていたらしいのだ。 「ホント汚いんやけ!」 と、そこに一人のじいさんが声をはさんだ。 「ほんまですなあ。大阪では考えられんことですわ!」
そんなことはないだろう。 辺り構わず痰を吐くようなマナーの悪い人は、全国どこにでもいるものである。 しかも福岡と同じく犯罪の多い大阪に、そういう人がいない、とは考えられない。 おそらくこのじいさんは、マナーの善し悪しなどどうでもよかったに違いない。 ただ、自分が大阪から来たということを、そこにいる人たちに訴えたかったのだろう。 自分が大阪人であることを自慢したかったのだろう。
ところが、じいさんの意に反して、「へえ、大阪から来られたんですか」などという合いの手を入れる者は一人もいなかった。 おばさんも、じいさんが「大阪では…」と言っている時には、もう他の作業をしていた。 おそらくその時のじいさんの心中は、「・・・」だったに違いない。
もし東北や北海道などから来たと言われれば「へえ、そうなんですか」となるかもしれないが、大阪から来たと言われて反応する人は、大阪から転勤してきた人や前に大阪に住んでいたことのある人以外は、まずいないだろう。 しかも、小倉−大阪間は、昔と違い2時間半行き来出来る場所になっているのである。 そんなことにいちいち反応していたらきりがない。
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