1ヶ月後。 「主任、先日本社に行ったんで、制作の人にテープ渡してきましたよ。私、ちゃんと押しときましたから」 「そう。ありがとう」 それから、ぼくはM子が来るたびに、「何か言ってきた?」と聞いていた。 しかし、M子からはいい返事がもらえない。 「ああいう人って、けっこういろんな人からデモテープ渡されますからねえ。なかなか聞く暇がないって言ってましたよ」 「じゃあ、聞くまで待つしかないんか」 「そうですねえ。でも、聞いてくれたら大丈夫です。いい歌ですから」
2ヶ月後。 まだ、P社からは何も言ってこない。 ある日、いつもと違う曜日にM子がやってきた。 「主任、すいません。今度転勤になったんです」 「え、転勤!?」 「ええ」 「どこに行くと?」 「喜んで下さい。本社です。これで『月夜待』はバッチリです」 「そうか」 「で、情報は後任に伝えるようにしますから、心配しないで下さい」 「悪いね」 「いいえ、私、主任の歌のファンになりましたから。最後までお付き合いします」 「ありがとう」 ということで、M子は去っていった。
ところが、何ヶ月経っても、M子からは何も言ってこなかった。 後任にそのことを問うと、「ああ、M子さんですか。今度結婚しますよ」とのことだった。 「月夜待は、どうなったんやろ?」 「さあ? 何も言ってきてませんけど」 「…そうか」 結局、その後M子からは何も言ってこなかった。 そのうち、ぼくも会社を辞めることになった。 会社を辞めるについて、ぼくは何も悔いはなかった。 が、ただ一つの失敗は、レコード会社と縁が切れたことだった。 これで、ぼくの『月夜待売込み作戦』はご破算になった。
さてどうしよう。 仕事がなくなった上に、『月夜待』もめどが立たない。 そういうおり、求人情報雑誌に芸能筋の仕事が載っていた。 そこでぼくは、その会社を受けることにした。 面接で、「この会社は、こちらに来た歌手などの接待や、専属歌手のマネージャー業務を主にやっています」・「中国や韓国に支社もあって、そこに出張ということもあります」・「日によっては、夜中の勤務になることもあります」など、いろいろと会社の説明を聞いた。 「で、しんたさんのほうで、何か要望はありますか?」 「はい、私は学生時代からオリジナル曲を作るなど、音楽をかじっているのですが、そういう方面の採用というのはありますか?」 「うちはそういう採用はやっていません」 「そうなんですか…」 ぼくが難色を示すと、相手は急にぼくを引き止めるようなことを言った。 「君は体力ありそうだから、マネージャー業とかに向いてると思うんだけどねえ」 ぼくはその言葉を聞いて、『ハードな仕事だから、人が定着せんのやろう。要は誰でもいいんだ』・『だいたい、初対面の人間に何がわかるというんだ。自分のことも満足に出来ない、おれの性格も見抜けんくせして、よく言うわい』と思った。 そこで、「そうですかねえ。でも、自分は音楽をやるほうが向いていると思いますので…」と言って断った。 また、『月夜待』の夢が壊れた。
あれから10年以上の歳月が流れた。 『月夜待』に振り回された生活も、あの時点で止まっている。
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