ぼくはそれ以前に、何度かアマチュアコンテストに応募している。 しかし、一度も入選したことがなかった。 それは単に歌がよくなかったと理由からだろうと思っていた。 ということは、歌さえよければ入選するということだ。 そこで、ぼくはこの『月夜待』で挑戦してみることにした。 とはいえ、世はバンドブームであった。 「メジャーな、それもライブ有りのコンテストで、この曲が受けるはずがない」と思ったぼくは、他の道を探すことにした。
とはいえ、そんなコンテストというのは、当時どこにもなかった。 というより、仕事に追われてコンテストを探すどころの騒ぎではなかったのだ。 ようやく、探し当てたのは、30歳を超えた時だった。 音楽雑誌を読んでいると、そこにS社の広告「オリジナルテープ募集」という文字を見つけた。 よく読んでみると、テープ審査で何曲かをエントリーし、その中から入賞曲を選ぶというものだった。 「これなら仕事に差し支えないから大丈夫」と思ったぼくは、さっそくテープデッキに『月夜待』を録音し、S社に送った。
それから何ヶ月か経ったある日、S社からぼくの元に1通のはがきが来た。 そこには、「せっかく応募していただきましたが、当社の音楽性とは異なるので、今回は残念ながら不採用とさしていただきます」と書いてあった。 20代の頃なら、ここでくじけていただろう。 しかし、30代のぼくはくじけなかった。 また他の道を当たってみることにしたのだ。
その頃、ぼくは人事異動で、楽器部門専任からレコード部門兼任となった。 レコード部門を持つということは、レコード会社の人間と親しくなることだ。 そこで、ぼくは『月夜待』の良さをわかってくれる人を待つことにした。 1年後、ようやくそういう人が現れた。 P社の女性セールスM子だった。 メーカーのセールスがくるたびに、ぼくはオリジナルのことを話していた。 その話に食いついたのが、M子だった。 「ぜひ聞いてみたいです」 「じゃあ、今度テープ持ってくるね」 テープは、それ以前にS社に応募したものが残っている。 ぼくは翌日、忘れないようにそのテープを会社に持ってきておいた。 そして翌週、M子がきた時にそのテープを渡した。 「一度聞いただけじゃ、わからんかもしれんけ、何度か聞いてみて」 「はい、わかりました」 M子はテープを持って帰った。
そして次の週。 M子は目を輝かせてやってきた。 「主任、聞きましたよ。いい歌ですね。私ジーンときました」 それを聞いてぼくは下心を出した。 「そうか。そんなによかった?」 「ええ。とっても」 「実はね。これレコード化したいんよ」 「この歌をですか?」 「うん。レコード会社にテープ持って行って、聞いてもらうのが一番なんやろうけど。なかなかそんな暇がなくてね」 「そうでしょうね。いつも主任は忙しいそうだから」 「で、お願いがあるんやけど」 「何ですか?」 「それ、本社に行くことがあったら、持って行ってほしいんよ」 「ああ、そうか。その方法があったか。いいですよ。私、制作に知った人がいますから。売り込んできます!」 「ほんと? じゃあ、お願いします」 ということで、『月夜待』はP社に持ち込まれた。
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