東京に出た頃、一番感動したのは、空気が予想以上にきれいだったことである。 もちろん排気ガスはひどかったが、北九州のように、工場から出る悪臭というものはなかった。 ある日友人が、「川崎に行ったんだけど、悲惨だったぜ」と言った。 「何が悲惨やったんか?」 「空気さ。ひどい臭いだったぜ」 他の人は「へえ、そうなんだ。で、どんな臭いだった」などと聞いていたが、ぼくには、それがどんな臭いであるかがよくわかった。 工業地帯特有の臭いである。 特にぼくの家は、北九州工業地帯の中心である洞海湾の近くにあるので、ヘドロの臭いというのも混じっており、さらにひどいものだった。 おそらく、ぼくが川崎に行っても、それほど臭いとは感じなかっただろう。
東京の下宿のおばさんに初めて会った時、「へえ、八幡出身なの。私は何年か前に八幡製鉄所を見学に行ったことがあるよ」と言っていた。 ところが、夏に帰省してから東京に戻ってくると、「田舎の空気はきれいでしょう」と言う。 「えっ!?」 「東京みたいに空気が汚れてないよねえ」 「きれいじゃないですよ。川崎以上に汚いです」 ぼくがそう言っても、おばさんはしきりに「田舎の空気はおいしいだろうねえ」などと言っていた。 「この人は八幡製鉄所に行って、何を見てきたんだろう」と、ぼくは内心思ったものだった。
ぼくは生まれた時からずっと工業地帯の悪臭の中で暮らしてきたので、そういう臭いがしても特に何も感じない。 ところが、いなかに行くと、突然においに敏感になる。 小学生の頃、夏休みに、郊外の宗像に遊びに行ったことがある。 まだバスに冷房のなかった時代だったので、窓を開けていると、突然嗅いだことのないにおいが飛び込んできた。 母に「これ、何のにおい?」と聞くと、母は「稲穂のにおい」と答えた。 見ると、バスは田んぼの中を走っていた。 ぼくが通った小学校も田んぼの中にあったのだが、稲穂のにおいなどは、工場の臭いと、牛小屋の臭いでかき消されていた。 まさに、生まれて初めて感じる、稲穂のにおいだった。
ところで、最近は郊外に行っても、何もにおいを感じなくなっている。 それだけ、郊外の都市化が進んでいるのだろうが、それと同時に、北九州の空気がきれいになったということも、理由の一つにあげられる。 八幡製鉄所の老朽化に伴い、工場が次々に閉鎖されていった。 そのせいで、我が高校校歌に『八幡の煙、君見ずや』と謳われた、煙がなくなった。 おかげで、悪臭が去り、空気がきれいになったのだ。 もちろん、人間が生活するには、そちらのほうがいいに決まっている。 しかし、明治以来、日本の近代化を支えてきた鉄都八幡の衰退は、高度経済成長という躍動感のある時代を知っている者として、寂しいものがある。
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