2003年04月24日(木) |
気が楽だったり、時々狂ったり(後編) |
3年の時、何よりもぼくが目立ったことといえば、遅刻だった。 とにかく毎日遅刻する。 これは交通事情のせいであり、わざと遅刻していたわけではないが。
初めて遅刻した時、ぼくは教室の後ろから入った。 すると担任が、「こら、しんた。どうして後ろからコソッと入ってくるんか。遅刻したなら前から入ってこい」という。 ぼくはすでに席に着いていたのだが、また鞄を持って後ろから廊下に出、前から入り直した。 それからは、毎日前から入るようになった。 その入り方がおかしかったのか、いつもクラス中が笑いの渦だった。 ホームルームで担任が熱弁をふるっている頃、突然教室の前の扉を開け、のそのそと歩いて、教壇の前に向かった。 教壇の前に立つと、ぼくは担任の顔をにらみつけた。 そこから担任とのやりとりが始まる。 「こら、しんた。お前、なし(何で)遅刻してきたかっ!?」 「はあ、バスが遅れました」 「バスが遅れた? 他の人間は遅れずに来とるやないか!」 「はあ、ぼくの乗ったバスが遅れたんです」 「なし遅れるようなバスに乗るか!?」 「はあ、そのバスしかなかったからです」 担任はせっかちにしゃべり、ぼくはのんびりとしゃべっている。 その間合いがおかしかったのか、みんなクスクス笑っている。 「もういい。1時間目が終わったら職員室に来い!」 いつもこの繰り返しだった。 このことがあって、ぼくは行動で笑いをとることの面白さを知った。 一方の担任も、ぼくと掛け合うことの面白さを知ったようで、ぼくが遅刻してくるのを楽しみにしているようなふしがあった。
しかし、こんなことをやっていたからといって、孤立を止めたわけではなかった。 ・クラスの連中とは、必要以外のことは話さない。 ・相手が馬鹿やっても、反応しない。 ・笑わない。 ・クラス単位の活動などは、すべて無視。 という孤立化4項目は忠実に守っていた。
さて、ぼくはそのうちクラスにいることすら馬鹿らしく思うようになった。 朝は遅刻してくるので当然ホームルームに出席しなかったのだが、とうとう帰りの掃除やホームルームにも参加しなくなった。 その間何をしているのかというと、クラブの部室で寝ていたのだ。 さらに、「こんなクラス面白くない!」と言い捨てて、他のクラスに遊びに行くようになった。 時には、授業を他のクラスで受けることもあった。
そうやって、ぼくの孤立はどんどん深くなっていった。 ある時、2年の頃のぼくを知る、数少ないクラスメイトの一人が言った。 「人は変わると言うけど、お前みたいに極端に変わった奴はおらん」 この一言を聞いた時、ぼくの孤立化は成功したと思った。
高校卒業間近に、ぼくはあることに気づいた。 それは、ぼくだけに限らず、クラスの一人一人が孤立していたということである。 いつも馬鹿ばかりやって、そのクラスの中心的な存在になっている男がいた。 ぼくは、その男の中に空元気を感じた。 本気で馬鹿をやってないのだ。 彼はいい大学を目指していたこともあって、家ではかなり勉強をしていた。 そういう人間が、本気で馬鹿をやるわけがない。 彼は馬鹿をやることで、受験勉強の憂さを晴らしていたのだ。 つまり、彼にとってのクラスというのは、受験勉強のはけ口だったのだ。
おそらくその時期、クラスの全員がそうだったのだと思う。 彼らにとって、クラスというのは、受験という孤独な闘いから逃れられる唯一の場所だった。 つまり、孤立と孤立、心の通わないコミュニケーションを、クラスという場所で展開していたにすぎないのだ。 みんな空元気だったわけだ。
それに気づいた時、ぼくは「なんと無駄な一年間を過ごしたんだ」と思ったものだった。
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