2003年04月23日(水) |
気が楽だったり、時々狂ったり(前編) |
「気が楽だったり、時々狂ったり」
ここに来て半年、おれはみんなを無視してきたし 誰も信じようと思わなかった だから彼らもまったく、おれを相手にしない 気が楽だったり、時々狂ったり
主人はおれたちの落ち度を見つける、頑固な人で みんなから嫌われるのも当然だ もちろんおれも、彼を信じちゃいない。 彼にすべてを、任せようとも思わない
今日も日記帳につづられた日々が笑っている 病に衰えたおれのことを 今日も日記帳につづられた日々が泣いている どうやらこの賭は失敗だったらしいね
おれのあこがれた連中が、「諦めるか」と聞く おれはただ、「なに今に福音が降りてくるよ」 誰もがおれの目は、何かもの悲しそうだという 気が楽だったり、時々狂ったり
今日も日記帳につづられた日々が笑っている 病に衰えたおれのことを 今日も日記帳につづられた日々が泣いている どうやらこの賭は失敗だったらしいね
ここに来て半年、おれはみんなを無視してきたし 誰も信じようと思わなかった だから彼らもまったく、おれを相手にしない 気が楽だったり、時々狂ったり
またつまらん詩で始まった。 この詩は高校3年の頃に作ったものだ。 その頃、ぼくは一つの実験をやっていた。 それは、クラスから孤立することだった。 小学校1年から高校2年まで、いつもぼくは何らかの形でクラスの中心にいた。 というより、そういう自分を演じていた。 高校2年が終わる頃に、「そういう自分を演じることも飽きた。せめて最後の1年だけは、目立たない自分を演じてみよう」と思った。 春休みが終わり、ぼくはそのことを実行に移した。
それは、 クラスの連中とは、必要以外のことは話さない。 相手が馬鹿やっても、反応しない。 笑わない。 クラス単位の活動などは、すべて無視。 というものだった。
幸い、新しいクラスには、2年までのぼくを知る人が少なかった。 おかげで、『新しい自分』演出は障害もなく遂行できた。 もはや中心ではないので、ずいぶん気が楽だった。 面白くもないことに、相づちを打って笑う必要もなくなった。 体育祭などの面倒なイベントにも参加しないで、さっさと帰る。 当然、その打ち上げにも参加しない。 そのうち、クラスの連中も、ぼくのことを相手にしなくなった。 「うまくいった」と、ぼくはほくそ笑んだ。
ところが、無理矢理違った自分を演出しているため、いろいろとほころびが出てきた。 長年中心でいたので、中心であるためのツボというのが身に付いている。 それが、ついポロッと出てしまうのだ。 自分でも気がつかないうちに、目立つようなことをしたり、物言わず笑いをとったりすることがあった。
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