| 2002年11月24日(日) |
パソコン前夜 その1 |
ホームページを始めてから、ぼくの睡眠時間は確実に短くなった。 立ち上げた当初は、「日記を書き終わるまで寝らん!」という信念を持って日記を書いていたので、4時になろうが5時になろうが、書き終わるまで寝るようなことはなかった。 そのため、体調を崩すこともよくあった。
その反省をふまえて、最近は午前2時までに日記が出来なければ、翌朝に持ち込むようにしている。 ところが、昨日は朝が早かったり、こけたりしたせいで、11時をすぎた頃から居眠りを始めた。 居眠りから覚めて、時計を見ると、まだ12時半である。 以前なら「さあ、頑張って書くぞ!」という意気込みでパソコンに向かったのだが、昨日はそこで諦めてしまった。 「もうだめばい。寝ろ」と思い、寝てしまった。 そのために、朝、会社に出かける寸前の更新になってしまった。 今後は、こういうことが多くなるだろう。
さて、ホームページを始める前、というより、パソコンを持つ前は、だいたい12時から1時の間に寝ていた。 その時間まで何をやっていたのかというと、本を読んでいたのである。 その当時は、歴史書が主な読み物だった。 昭和史が中心だった。
昭和史に関しては、いろんな人の本を読んだものだ。 一連の昭和史を読んで、今まで習ってきた昭和が、いかに嘘で固められたものかというのがよくわかった。 政府や軍の主導で行われたと教えられた先の戦争も、元はといえば、当時の国民の世論から発したものだった。 その世論を生んだのが、アメリカの謀略だった。 しかし、そうし向けたのは中国国民政府だった。 その中国国民政府がそうし向けた原因は、中国共産党にある。 その中国共産党の元は、ソビエト連邦だ。 結局、日本とアメリカという二つの防共大国は、その本来の共通の敵であるソビエトに踊らされていたのだ。 その一方の防共大国が戦闘能力を失った時に、ソビエトは満州を南下、朝鮮半島まで進出してきた。 日本としては、江戸幕府や明治政府が恐れていた『ロシアの南下』が、現実のものになってしまったのだ。 一方のアメリカは、戦友となるべき日本を自分の手で潰したために、本来の敵である共産主義と、一国で戦わなければならなくなった。 その結果が、38度線だ。 その結果が、ソビエトから派遣されたペテン師、金日成だ。 その結果が、親愛なる将軍様、金正日だ。 その結果が、拉致問題・核開発・ミサイル・飢餓だ。 その結果が、ワイドショーだ。 その結果が、『頑張る40代!』だ。
上に書いたことは、もちろん教科書には書いていない。 というより、教科書に書いていても、日本史の授業で、そこまで行くことはまずない。 だいたい5.15事件か2.26事件くらいで、3学期が終わってしまう。 ところが、書かなくていいことはしっかりと書いている。 南京虐殺、創氏改名、強制連行、従軍慰安婦・・・。 あちらの言い分のオンパレードである。 中国にしろ韓国にしろ、元はといえば、北朝鮮と同じ儒教国である。 儒教の教えは仁義である。(仁=他に対するいたわりのある心,義=人のおこないが道徳・倫理にかなっていること。 以上『大辞林』より) 老子曰く『大道すたれて仁義あり』。 仁義が行き届いていれば、仁義という言葉はいらないのである。 仁義がないから、「仁義、仁義」と声高に叫ぶ。 儒教国、つまりは仁義のない国である。 礼を逸した国。 言いがかりをつけて金をむしり取ろうとするたかりの国。 そんな国に弱腰で臨むこと自体がおかしい。 明治期の外交のように、毅然とした態度で臨めばいいのだ。
と、まあ、パソコンを持つ前は、本を読みながら夜な夜なこういうことを考えていたのである。
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