床屋に行ってきた。 毎月一度行っているのだが、いつものことながら、これを書かないと髪を切ったことに気づいてくれない人がいるので、今月も書くことにした。
今日は休みだったのだが、いつもと同じ時間に起き出し、いつもと同じ時間に家を出た。 ぼくの行っている床屋は、二人の理容師がいるのだが、一人は家事が忙しいのか、あまり店には出てこない。 ほとんど一人でやっている状態である。 そのせいで、一番に行かないと、9時台に行ったとしても、店を出る時間が1時・2時になったりする。 床屋で待たされるのは辛いものである。 いちおう「少年マガジン」が置いてあるが、見るマンガは決まっているので、すぐに読み終わってしまう。 後はすることがないので、居眠りをしている。 しかし、いすに座っての居眠りは、腰は痛いわ、肩は凝るわで、疲れる疲れる。 一人でやっているので、時間短縮のために、肩も揉んでくれないから、ちょっとばかり朝が辛くても、早く行くに限る。 今日は一番乗りだった。 一人でもお客がいると出るのが昼になるので、いつも緊張してドアを開けている。 そこに人のいなかったときの喜びといったらない。
髪を切り始めてしばらくは誰も来なかったのだが、40分ほどたって一人のお客さんが入ってきた。 それから続々とお客さんが入ってきて、ぼくが帰る頃には4人の人が順番を待っていた。 最後に入ってきた人は、店を出るのはおそらく4時頃になるのではないだろうか。 その間、その人もそうだが、床屋の姉ちゃんも昼飯を食えないことになる。 ぼくも月に半分の休みを削っている(火金が休みなのだが、金曜日は午前中出勤をしている)のだが、どこも大変である。
「そんな人手の足りん床屋に行かんで、もっと理容師の多いところに行けばいいのに」と、よく言われる。 しかし、ぼくはこの床屋には中学生の頃から通っているのだ。 今までの人生の中で、一度だけ坊主にしたことがあるが、それをこの床屋でやった。 それからずっとこの床屋に通っているのだ。
中学生の頃、他の学校ではまだ坊主にしなければならない学校が多かったのだが、ぼくの行った中学校は調髪自由だった。 ぼくは2年の時に、日本海軍に憧れた時期があった。 その時期、東郷平八郎にのぼせていた。 そして、「日本人は坊主じゃないといけん」などと騒いでいた。 で、親の反対を振り切って坊主頭にしたのである。 しかし、坊主にして後悔した。 前にも話したが、ぼくの額のすぐ上にはツムジがある。 それが坊主だとはっきりとわかるのだ。 「お前、こんなところにギリがあるんか」と言ってからかわれたものだ。 しかも、ぼくは額が狭いので、坊主頭が似合わない。 「もう2度と坊主なんかするか」と思い、その後は長髪に走るようになる。
高校の頃はほとんど床屋には行かなかった。 金鷲旗柔道大会の前に、先輩に「長髪だと弱く見られるから、スポーツ刈りにしてこい」と言われ、しぶしぶ床屋に行ったくらいだ。 後は、20歳くらいまで床屋には行っていない。 ほとんど、自分でちょこっと切っていた。 その後サラリーマンにならなかったら、おそらく今でも髪は自分でちょこっと切っているだろう。 そうであれば、床屋での、順番待ちというストレスもたまらないだろう。 今でも長髪に憧れているので、定年でも迎えたら、また髪を伸ばすことにするかなあ。
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