頑張る40代!plus

2002年11月20日(水) 親友

「親友」

君と遊んでいたのは、いつの頃からだっただろうか。
時々けんかもしたけど、
ぼくらは仲のいい友だちだった。
小学校でのいたずらも、
廊下に立たされた時も、
いつもぼくらはいっしょだった。
奇妙なノリの中で
ぼくらはつき合っていた。
奇妙なノリの中で
ぼくらは目立っていた。

中学の頃だったろうか。
ぼくは君と話すことに、
なぜか心苦しさを覚えた。
おそらく君もそうだったのだろう。
その時から君とのつき合いを
空々しく感じていった。
いっしょに学校に行ったことも、
同じクラスになって、抱き合って喜んだことも、
おそらく『親友』という言葉がさせた
行為だったのだろう。

その後ぼくらは別々の道をたどった。
つき合いも以前ほどではなくなり、
『親友』という言葉の魔力も次第に失せていった。
ことあるごとに『親友』を強いる君に
嫌悪感を抱いていたぼくだったが、
いつしかそんな感情も薄らいでいった。
とりあえず今は、君との縁も消滅している。


上の詩の「君」は決してぼくの「親友」ではない。
彼がぼくを「親友」と呼んだのは、つき合いが長かったからである。
つき合いと言っても、小さい頃から近くに住んでいたので、いっしょに遊んでいただけの仲でしかない。
中学になり、高校になり、彼がぼくの力になってくれたとか、ぼくが彼の力になってあげたということは一度もなかった。
また、膝を交えて語り合ったこともない。
いっしょに遊ばなくなった彼は、ぼくにとっては「かつて友だちだった人」にすぎない。
ぼくにとってそれだけの存在の人間なのに、彼は、ぼくが昼寝をしている時、勝手に家に上がり込んできて、たたき起こしたり、誰も許可してないのに、勝手にぼくの本を持ち出したりした。
そのことを追求すると、「いいやん、親友なんやけ」と言う。
人の家に勝手に上がり込むことや、人の本を勝手に持ち出すことは、親友のすることではない。

ぼくは小中学校のつき合いより、高校時代のつき合いの方を大切にしている。
別に意識してそうしているのではなく、自ずと高校のつき合いのほうに行ってしまうのだ。
ぼくは、43年間同じ場所に住んでいるが、成人して以降は、この場所で小中学時代の友だちに会ったことがない。
近くに大型のショッピングセンターがあるので、そこで会ってもよさそうなものだが、それもない。
いったいあの頃、ここに住んでいた人たちは、どこに行ってしまったのだろう。
小中学校の同窓会のお誘いがあるわけでもない。
というより、そういうものの企画すらない。
「どうしてますか?」というような電話もない。
個人的に飲みに行くようなこともない。
幼なじみの、その後の動向も知らない。
知っているのは、死んだ奴のことだけである。
それも風の噂で、である。

現在ぼくは、先の「君」に限らず、小中学校時代の友だちだった人たちとは疎遠になっている。
しかし、これはぼくだけに限ったことではない。
人の話を聞くと、皆そういうものらしい。
やはり、誰もが異口同音に、小中学校時代よりも、高校時代のつき合いの方が大切だと言う。
高校の同窓会にはよく行くが、中学校の同窓会には行ったことがないと言う人が多い。
幼い頃いっしょに遊んだ友だちよりも、多感な時期に語り合った友だちのほうが、よりつき合いやすいのだろう。

今後、小中学校の同窓会があれば行ってみようとは思っている。
が、特に会いたい人などはいない。


 < 過去  INDEX  未来 >


しろげしんた [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加