「秋なりき」 かの鎌倉の茶番劇は楽しかりき 北鎌からの道々 ふり向くと皆茶番を演じ たまに世辞笑いを見せにけり 白々しき笑いの続きけり ああ、楽しきかな かの北鎌から続く道々 皆世辞笑いを浮かべけり
これを書いたのは昭和53年だから、もう24年前のことになる。 日付は11月6日になっているが、ここに書いていることは、前日5日のことである。 その日の午前、ぼくたちは東京駅から国鉄横須賀線(当時)に乗り込んで、鎌倉へと向かった。 ぼくたちのグループと、当時はあまり親しくなかったグループとの合同の小旅行だった。 当然、そのグループのことをよく知らないから、どうしても自分のグループで固まってしまう。 かと言って、毎日顔を合わしている仲だから、目が合えば、つい作り笑顔を浮かべてしまうことになる。
北鎌倉駅で降り、茶店で和菓子と抹茶を注文した。 もちろん席は別々である。 グループの代表同士が、「どういうルートで行こうか」などと話し合っている。 結局、そこから寺回りをしながら、鶴岡八幡宮まで歩いて行くことになった。 ゆっくりと歩いて行った。 ゆっくりと、というよりは、トボトボと言ったほうがいいかもしれない。 なぜなら、彼らがいると思うと、何か荷物を背負っているようで、重苦しく感じたからである。 もちろん、グループごとに分かれて歩いている。 途中コミュニケーションも何もない。 時々、お互いの目が合うと、ニヤッと作り笑顔を浮かべるだけである。 ぼくが「何か白けるのう。おれたちだけで来ればよかった」と友人にこぼすと、友人も「そうだね」と相槌を打っていた。 ぼくは、その当時は、かなり人見知りする人間だった。 だから、特に白けていたのかもしれない。 友人は相槌は打つものの、別にどうでもいいという感じだった。
さて、白けたムードで東京に戻り、翌日彼らと会った。 お互い「昨日はどうも」と言いながら、また作り笑顔である。 ぼくは、東京にいる間、この人たちとは友だちにはなれないだろうと思っていた。
ところが翌年、ぼく一人だけが、彼らと急接近することになる。 たしかに、鎌倉に行った当時のグループが崩壊していたこともあった。 しかし、何よりも大きかったのは、ぼくの性格だった。 人見知りだと勝手に思っていたのだが、考えてみると、ただ人の中に溶け込むのに時間がかかるだけの話である。 「安っぽい付き合いはしたくない」という理屈付けはしているものの、根は「人気者で行こう!」なのである。 前のグループの人間からは、「おにいさん、最近付き合いが悪くなったね」と言われたが、そういう自分の性格に気づいたぼくは、もう止まらなかった。 気がついたら、そのグループの中心にいた。 そして、さらにグループの輪を広げていった。
さて、今日ぼくがこんなことを書いたのには理由がある。 実は、明日までに、自己申告書を会社に提出しなければならないのだ。 その自己申告書の中に、『自分の性格』を書く欄があるのだが、そこでいつもつまずいてしまう。 特に自分の性格を振り返ることもないので、だいたい「温厚、誠実」などと心にもないことを書いてしまう。 今年は気の効いたことを書いてやろうと思い、ちょっと自分の性格を省みたわけである。 ということで、今年は、「根は『人気者で行こう!』です」と書こう。
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