「ああ友と よき酒を 時を憂いて飲みあかしたい 今も昔もこの酒つげば心地よし」(詞 吉田拓郎『我が良き友よ』より)
確か高校の卒業アルバムに、この歌詞が載っていた記憶がある。 ぼくは、数ある拓郎の歌詞の中でも、ここの部分が一番好きである。 また、いつも秋になると、この歌のこの歌詞が、頭の中で鳴っている。
高校時代、一番楽しかったのが、2年の秋だった。 おそらく、高校時代のすべてが、この時期に集約されている。 運動会が終われば、真面目に参加しなかったにもかかわらず、打ち上げキャンプをやり、修学旅行が終われば、反省会(何の反省か?)をかねた打ち上げキャンプをやった。 キャンプはいつも、学校の裏にある皿倉山(北九州市のシンボル的山)の中腹でやっていた。
最初のキャンプは、10月の頭だった。 テントと酒だけを用意して、各自好き勝手なことをやっていた。 酒が好きな人間は酒を飲み、バイク好きな人間はバイクを転がし、説教好きな人間は説教していた。 ぼくはといえば、ギターを弾きながらガンガン歌っていた。 あの時歌ったのは、拓郎の一連の歌や、陽水の『断絶』『東へ西へ』『能古島の片想い』、泉谷しげるの『春夏秋冬』『おー脳』などだった。 声を張り上げて歌っていたせいで、2,3日声が出なかった。 また、タバコを覚えたのもこの時だった。 初めて吸ったタバコは、ハイライトだった。 初めて吸った時に、倒れたとか吐いたとか、人はいろいろ言っていたが、ぼくの場合、酒が入っていたせいか、まったくそんなことはなかった。 ただ、味はなかった。 タバコのおいしさを知るのは、それから3年後である。
そういえば、修学旅行の打ち上げキャンプは、11月2日3日だったと記憶している。 ちょうど今日のような寒さで、震えながら酒を飲んだのを覚えている。 さすがに初回の運動会の打ち上げほどには人は集まらなかったが、楽しかった。 この時もぼくは、ギターを弾いてガンガン歌っていたのだが、何よりも楽しかったのは、みんなと話せたことである。 教室では聞けない話を聞いたり、将来について語り合ったり、充実したキャンプだった。 その時ぼくは、「10年後も、20年後も、こいつらといっしょにキャンプしたいなあ」と思っていた。 しかしその後は、3年の夏休みに一度キャンプをしただけで、それから後は一度もキャンプをすることはなかった。
『我が良き友よ』が流行ったのは、高校2年の冬だった。 このキャンプより、少し後に流行ったことになるが、ぼくはこの歌のこの歌詞を聴くと、いつもその頃のことを思い出す。 その時集まった、一人一人の顔が、今でも目に浮かぶ。 みんな歳食って、40面を提げ、女房子供に手を焼きながらも生きていることだろう。
ところで、この『我が良き友よ』は、残念ながら、同時期に『22歳の別れ』が流行っていたため、邦楽のベスト10部門では1位にはなれなかった。 しかし、ぼくの中では堂々の1位だった。 当時は『22歳の別れ』を聞いて、「こんな軟派な歌なんか嫌いだ」と思っていたものだった。 しかし、時が流れて、改めて『22歳の別れ』を聞いたとき、「何といい歌なんだ」と思ったものだ。 同じような境遇の歌に、キャンディーズの『春一番』がある。 この歌も、同時期に『およげ!たいやきくん』が流行っていたために、1位にはなれなかった。 が、ぼくの中では堂々の1位でだった。 しかし、『およげ!たいやきくん』は時が流れても、いい歌だとは思えない。 実に残酷な歌である。
<緊急報告> 長らくお世話になった、ASAHIネットによる『頑張る40代!』を、お終いにしようと思っています。 その件については、近々日記か何かでお知らせします。
|