「午後2時に家を出た。 黒崎でサングラスを買った後、友人のH宅に行く。 すでにIが来ていた。 H宅から歩いて八幡駅に向かった。 午後4時、八幡駅に着く。もう、みんな集まっているようだ。 そうそう嫌なものを見た。J子だ。 中学時代の英語の教師だ。 娘を見送りにきたのだ。 Y子が挨拶している。 そして、Y子はぼくを呼んだ。 ・・・」
古いノートをめくっていたら、以上のような日記を見つけた。 そこに書かれているのは、今から28年前の10月13日、高校の修学旅行の初日の様子である。 高校の修学旅行というと、学生最後の修学旅行になる。 そういう特別な行事のしょっぱなに、ぼくが中学の時一番嫌いだった教師J子が現れたのだ。 せっかく忘れていたのに、なにもよりによってこんな日に現れなくてもいいだろう。
J子は、ぼくと同じ高校に通っていた娘の見送りに来ていたのだ。 ぼくと同じ中学出身のY子が、へらへらと挨拶をしていた。 当然ぼくは無視していた。 「このまま知らん顔して、列車に乗ってしまおう」と思っていたのだ。 ところが、Y子がぼくを呼んだ。 「しんたくーん」 「あ!?」 「J子先生よ」 ぼくはどうしようかと迷ったが、離れた場所から、「ああ、どうも」とそっけなく頭だけ下げておいた。
後で、ぼくはY子に文句を言った。 「ばかか、おまえ。J子ごときで、おれを呼ぶな!」 「いいやん。J子先生にお世話になったんやろ」 「誰がお世話になんかなるか」 「J子先生、『しんた君どうしよる?』と心配しよったよ」 「何で、あんな奴から心配されんといけんのか。自分の娘のことでも心配しとけ」 J子先生のことは以前日記にも書いたが、ぼくを毛嫌いしていた先生で、ぼくの母親を4度も学校に呼びつけたことがある。 J子が吹聴したおかげで、ぼくは中学の3年間、問題児扱いされたのだ。 どうしてそんな先生から心配されないとならないのだろう。 高校に入ってからも、問題児しているとでも思っていたのだろうか。 今でも、J子のことを思うと不愉快な気持ちになる。 「とにかく、今後J子が学校とかに現れても、絶対におれを呼ぶなよ」 「呼んでやるけ」
Y子とは小学校からいっしょだった。 小学3年、4年、中学2年の時に、同じクラスだった。 ぼくとはけんか友だちみたいな関係だった。 彼女は小学校の頃から勉強が出来たので、当然T高校に行くものだと思っていた。 それがわざわざ1ランク下げて、ぼくと同じ高校を選んだのだ。 受験の時、横に座っていたので、ぼくは「何で、こいつがここにおるんか」と思ったものだった。 合格発表の日、高校の門をくぐると、そこにY子がいた。 すでに発表を見てきたと言うことだった。 そして言わなくてもいいことを口走った。 「うちの中学、みんな合格しとったよ」 この一言で、合格発表を見る楽しみがなくなった。 おかげで、掲示板に貼り出された自分の名前を見た時、色褪せて見えたのだ。
高校に入ってからも、2年でまたいっしょになった。 いつも中学年でいっしょである。 ぼくが学生時代に楽しかったのは、小3・小4・中2・高2の時だった。 それらの学年は、すべてY子とクラスがいっしょである。 しかし、別にY子がいたから楽しかったわけではない。 ぼくが個性を充分に発揮できたから楽しかったのだ。 ぼくはY子のことを、女として見たことがなかった。 おそらくY子も、ぼくを男として見たことはないだろう。 二人はただの同級生だったのだ。
高校を卒業して、Y子は音大に入った。 ぼくは、長い浪人生活を送った。 再会したのは、社会に出てからのことだった。 ぼくは駅まで自転車で通っていたことがある。 いつものように駅まで急いでいた。 気がつくと、ぼくの横を一台のスクーターが、ぼくの速度に合わせて走っている。 そして、スクーターの人は「今行きようと?」と、ぼくに声をかけた。 ヘルメットをかぶっているので、顔がよくわからない。 『おばさんみたいやけど、近所の人やろか』とぼくは思った。 「はあ、今行ってます」とぼくは言った。 一時沈黙していたが、相変わらずスクーターは併走している。 そして、信号が赤になったので止まった。 すると、そのおばさんが「私よ」とヘルメットを取った。 Y子だった。 「なんか、お前か。近所のおばさんかと思った」 「相変わらず失礼やねえ」 あまり長話は出来なかったが、聞いたところによると、Y子はある高校の音楽の講師をしているとのことだった。 「あんた今何しようと?」 「教えられん」 「教えたっていいやろ」 「じゃあの」 そう言って、ぼくは別の道を行った。
それからY子とは、高校の同窓会で一度会ったっきりである。 結婚して子供が出来たとは言っていたが、今どうしているのだろう。 まあ、あいつがどうなっていようと、ぼくの知ったことではない。 たまたま古い日記を見て、思い出しただけなのだから。
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