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2002年10月09日(水) 猫 その1

先日読んだ本に面白いことが書いてあった。
日本人は、猫が好きな国民だということだ。
その証拠に、猫を使った言葉が実に多い、ということだった。
はたしてそうだろうか、とぼくは辞書で調べてみた。
なるほど確かに多い。
「猫に小判」「猫の手も借りたい」「猫も杓子も」「借りてきた猫」「猫の額」「ねこばば」「猫をかぶる」「猫背」「猫舌」「猫にかつおぶし」「猫なで声」「猫足」「猫目」「猫いらず」「猫かわいがり」などなど。
ペットの対抗馬である犬のほうを見てみると、
「犬猿の仲」「犬も食わぬ」「犬も歩けば棒に当たる」「犬畜生」「犬死に」「犬釘」くらいのものだった。
まあ、言葉が多いというだけで、猫好きの国民だと片付けることは出来ないかもしれないが、猫好きで犬嫌いのぼくとしては嬉しいことではある。

以前親戚の家で、犬と猫を飼っていたことがある。
最初に飼ったのは犬のほうだった。
当初は家族一同の愛情を注がれていた。
ところが新参者の猫の登場で、状況は一変した。
猫は愛想も糞もないが、みんなに可愛がられた。
一方の犬には誰も見向きもしない。
それでも、みんなに気にしてもらおうと、「ヒーン」と鼻で鳴いたり、尻尾をしきりに振ったりしている姿が哀れだった。
当然犬は、「あの猫さえいなければ」と思うようになり、隙あらば懲らしめてやろうと構えていた。
猫のほうは、ただの興味本位で犬を眺めていた。
そして、時にはちょっかいを出す。
鎖の届かないギリギリところまで来て、猫パンチを繰り出している。
たまに鎖がはずれていたりすると、それはもう大変だった。
トムとジェリーさながらの追っかけっこが始まる。
最後は、猫が屋根に上り、犬が地団太を踏む、という構図で終わった。

親戚の犬はかわいそうだった。
穴を掘ると叱られ、吼えると物を投げつけられ、人を噛むと叩かれていた。
いつも鎖につながれて自由はない。
毎晩9時になると鎖をはずしてやっていたのだが、人を噛むといけないのでいつも口輪をつけられていた。
9時になるとしきりに「ヒンヒン」と鼻で鳴き出す。
「早く口輪をつけて放してくれ」と言っているのだ。
口輪を見た時の興奮の仕方は、実に哀れだった。
興奮しすぎて、小便まで漏らす始末だった。

猫のほうは、幸せだった。
小言も言われないし、餌には困らない。
出入り自由で、クッションまで準備されている。
金魚を食べても咎められなかったし、柱を引っかいても文句を言われなかった。
芸を仕込まれることもなく、ただのほほんと生きていた。

こうやって書くと、誰でも犬に同情するだろう。
猫に嫌悪感を感じるだろう。
しかし、それでもぼくは犬が嫌いなのだ。
それでも猫が好きなのだ。
犬のどこが嫌いかと言うと、人に媚びるようなあの目と、優等生ぶる態度である。
猫のどこが好きかと言うと、何ものにも縛られないあの奔放さと、どんなに可愛がられても我関せずという一貫した態度である。
この好き嫌いは、おそらく一生変わらないだろう。


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