先日読んだ本に面白いことが書いてあった。 日本人は、猫が好きな国民だということだ。 その証拠に、猫を使った言葉が実に多い、ということだった。 はたしてそうだろうか、とぼくは辞書で調べてみた。 なるほど確かに多い。 「猫に小判」「猫の手も借りたい」「猫も杓子も」「借りてきた猫」「猫の額」「ねこばば」「猫をかぶる」「猫背」「猫舌」「猫にかつおぶし」「猫なで声」「猫足」「猫目」「猫いらず」「猫かわいがり」などなど。 ペットの対抗馬である犬のほうを見てみると、 「犬猿の仲」「犬も食わぬ」「犬も歩けば棒に当たる」「犬畜生」「犬死に」「犬釘」くらいのものだった。 まあ、言葉が多いというだけで、猫好きの国民だと片付けることは出来ないかもしれないが、猫好きで犬嫌いのぼくとしては嬉しいことではある。
以前親戚の家で、犬と猫を飼っていたことがある。 最初に飼ったのは犬のほうだった。 当初は家族一同の愛情を注がれていた。 ところが新参者の猫の登場で、状況は一変した。 猫は愛想も糞もないが、みんなに可愛がられた。 一方の犬には誰も見向きもしない。 それでも、みんなに気にしてもらおうと、「ヒーン」と鼻で鳴いたり、尻尾をしきりに振ったりしている姿が哀れだった。 当然犬は、「あの猫さえいなければ」と思うようになり、隙あらば懲らしめてやろうと構えていた。 猫のほうは、ただの興味本位で犬を眺めていた。 そして、時にはちょっかいを出す。 鎖の届かないギリギリところまで来て、猫パンチを繰り出している。 たまに鎖がはずれていたりすると、それはもう大変だった。 トムとジェリーさながらの追っかけっこが始まる。 最後は、猫が屋根に上り、犬が地団太を踏む、という構図で終わった。
親戚の犬はかわいそうだった。 穴を掘ると叱られ、吼えると物を投げつけられ、人を噛むと叩かれていた。 いつも鎖につながれて自由はない。 毎晩9時になると鎖をはずしてやっていたのだが、人を噛むといけないのでいつも口輪をつけられていた。 9時になるとしきりに「ヒンヒン」と鼻で鳴き出す。 「早く口輪をつけて放してくれ」と言っているのだ。 口輪を見た時の興奮の仕方は、実に哀れだった。 興奮しすぎて、小便まで漏らす始末だった。
猫のほうは、幸せだった。 小言も言われないし、餌には困らない。 出入り自由で、クッションまで準備されている。 金魚を食べても咎められなかったし、柱を引っかいても文句を言われなかった。 芸を仕込まれることもなく、ただのほほんと生きていた。
こうやって書くと、誰でも犬に同情するだろう。 猫に嫌悪感を感じるだろう。 しかし、それでもぼくは犬が嫌いなのだ。 それでも猫が好きなのだ。 犬のどこが嫌いかと言うと、人に媚びるようなあの目と、優等生ぶる態度である。 猫のどこが好きかと言うと、何ものにも縛られないあの奔放さと、どんなに可愛がられても我関せずという一貫した態度である。 この好き嫌いは、おそらく一生変わらないだろう。
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