頑張る40代!plus

2002年10月03日(木) 健康診断 1

今日は健康診断だった。
ぼくが受けたのは心電図と採血と血圧測定とレントゲン撮影で、いつものように検便と胃透視は拒否した。
周囲の人が「しておいたほうがいいよ」と言ってくれるのだが、本人に何も自覚症状がないのにする必要もないだろう。
それに、ぼくは病はすべて一過性だと思っているので、自覚症状があっても、あまり気にしない。
何か見つかったとしても、その時たまたま具合が悪かっただけである。
その「たまたま」を見つけた時、健康診断の人は鬼の首を取ったように大騒ぎする。
しかし、健康診断の結果というのは、ただの点なのである。
今回何かが見つかったからといって、次回そうであるとは限らないのである。
どんなことでも、流れを見ずに点だけを見つめると、ろくなことはない。
放っておけば治るものを、変にいじって、もし大病にまで発展したら、彼らはどう責任を取ってくれるのだろう。

よく健康診断で癌が見つかったという話を聞く。
それはもう大騒ぎしている。
「○○さん、健康診断で癌が見つかったらしいよ」
「あら、お気の毒に。まだ若かったのにねえ」
「癌」という一言で、その人は死んだような扱いをされる。
しかし、どんな人にも癌細胞はあると言われている。
ということは、その人は、健康診断で調べた箇所にたまたま癌細胞があっただけの話である。
例えば、胃に癌が見つかったとすれば、その人の癌細胞は胃にある、というだけのことだ。
逆に、他の人はその箇所には癌細胞はないが、他の箇所にはあるということになる。
もし癌というのが死に至る病気だとしたら、双方癌で死ななければならない。
ところが、死ぬのはいつも、健康診断で癌が見つかったほうである。
これはおかしい。
そこでぼくは、「なぜ発見されなかった人が死なないのか」を考えてみた。
一つに、それらの人が癌を気にしなくてすむ、というのがある。
癌は誰もが持っているというのなら、それは自然のことなのだ。
ということは、癌自体は病気ではないということになる。
では、病んでいるのはどこか?
心である。
昔から病気というのは「気を病むこと」と言われているが、ぼくはそうは思わない。
病気というのは、病を気にすることだと思っている。
つまり、病んでいるのは癌の住んでいる肉体ではなく、癌を気にする心だということである。
もう一つは、変に体をいじられなくてすむ、というのがある。
あって当たり前のものを切り刻んだり、薬で殺したりするから、体が変調をきたし、抵抗力をなくし、挙句の果てに死に至ってしまうのだ。

そう考えていくと、「癌は本当に恐ろしいものなのだろうか?」と疑いたくなってくる。
そもそも癌が怖い病気だと世間に植えつけたのは、学者であり医者である。
今更彼らの口から「癌は治る病気である」「癌細胞はどんな人にでもある」、だから「癌を恐れてはならない」などと言われてもねえ。
「癌は怖くない」と信じ込もうとしても、いったん植えつけられた恐怖心は、そう簡単に消えるものではない。
そんな無駄な努力をするよりも、「自分は健康だ」と思い込んで、検診など受けなければいいんだ。
そうすれば、心に余計な負担がかからない。
健康診断とは心に負担をかけるための悪習である。
そんなもの、すぐに止めてしまえ!
誰しも命運尽きれば死ぬのだから、そんなことを気にせずに好きなことをやるのが一番だ、とぼくは思っている。


 < 過去  INDEX  未来 >


しろげしんた [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加