頑張る40代!plus

2002年10月02日(水) 退職前夜 その6

いよいよ、最後の日になった。
ぼくは各社員に挨拶をすませ、最後に店長のところに行った。
「お世話になりました」
「あ?おれは前に言うたのう、義務を果たせと。まだ報告書を、おれはもらってないぞ」
すでに報告書は出来ていたのだが、ぼくはわざとその日まで出さなかった。
再棚卸の結果は、ぼくの予測どおり思わしくなかったらしい。
店長は焦っていただろう。
それがぼくの狙いだった。
「じゃあ、後で持ってきます」
そう言ってぼくは事務所を出た。
その後売場に戻ったぼくは、部下とバカ話をしていた。
そうこうするうちに午後9時を過ぎたので、ぼくは部下を帰らせた。
店長はぼくの報告書をずっと待っている。
しかし、ぼくはまだ提出しないでいた。
一人で残務整理をしていると、バカチョーが「しんたー」と大声を上げてやってきた。
「何ですか?」
「報告書はまだか。店長待っとるぞ」
「そうですか。あと少しで出来ますから、もう少し待ってくれと伝えて下さい」
「早くしろ!」

それから30分ほどして、またバカチョーがやってきた。
「おい、まだか!?」
「もう少しでーす」
「もう帰るぞ!」
「課長は帰ったらいいやないですか」
「そういうわけもいかん」
「じゃあ、もう少しお待ちください」

10時を過ぎた。
ぼくは用意していた報告書を袋の中から取り出した。
そして、事務所に向かった。
事務所では店長とバカチョー、それに事務所の責任者がいた。
「持ってきたやろうのう」と店長が言った。
「はい、これです。これだけ書けば、充分でしょう」と、ぼくは20枚以上に及んだ報告書を手渡した。
これがぼくの最後の仕事になった。
平成3年10月31日、ぼくは10年8ヶ月働いた会社を後にした。
悲しくもなかった。
辛くもなかった。
感傷に浸ることもなかった。
10年を振り返りもしなかった。
「ああ、やっと終わった」
ただ、それだけだった。

ところで、ぼくは一つ手を打っていたことがある。
それは些細なことだった。
だが、後にそれが波紋を呼ぶことになる。
辞表のことである。
通常辞表というのは、お伺いを立てるという意味で、形の上では「退職願」と書いて出すものである。
しかし、ぼくはそう書かなかった。
「退職届」と書いて出したのだ。
内容も「いついつをもちまして、退職します」という宣言文にした。
辞表を提出して2週間後、それは本社の社長の机の上に置かれていた。
その辞表が常軌を逸していたものだったので、本社の幹部連中が「これはおかしい」と思い、調査に乗り出した。

ぼくにも調査のための電話が入った。
商品部の課長からだった。
「しんた君、辞めるらしいねえ」
「はい、いろいろお世話になりました」
「どうして辞めるんかなあ。理由があったら教えてくれんかねえ」
これは調査だ、とぼくは思った。
そして、わざとぼくは「いやあ、課長が期待しているような理由はありませんよ」と答えた。
「いや、正直に言ってくれていいんだよ。参考にしたいだけだから」
「本当です。そういう理由じゃありませんって」
「じゃあ、どうして辞めるん?」
「やりたいことがあるからです」
「やりたいこと?何だろう?」
ぼくは、「歌手になりたいんですよ。ハハハ」と答えておいた。

「課長の期待している理由」とは、つまり、店長のことである。
4月に新店長として就任して以来、何人もの人が会社を辞めている。
それに加えて今回のぼくの「退職届」である。
いよいよ店長の管理能力が問われだしたのだ。
調査の電話でこういう受け答えをされると、かえって「怪しい」と思うものである。
ついに取締役たちも動き出した。

11月、ぼくが会社に行かなくなってからのことだが、ぼくのことを知っている何人かの取締役から、残留組の10年生に電話が入ったという。
「しんちゃん、辞めたらしいなあ」
「はい」
「何かあったんか?」
「さあ?」
「店長か、問題は」
「よくわかりません」
「そうか・・」

ぼくが辞めた後も、何人かの社員が辞めた。
これで、店長の管理能力のなさが決定的なものになった。
翌年の3月、店長は閑職に追いやられた。
それから現在まで、彼は日の当たらない場所にいるという。
あの「退職届」こそが、ぼくの店長に対する反撃ののろしであった。

 (完)


 < 過去  INDEX  未来 >


しろげしんた [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加