頑張る40代!plus

2002年09月29日(日) 退職前夜 その3

ここまで読まれた方は、ぼくが退職に至った理由が、会社への幻滅感と店長との不仲にあると思われるかもしれない。
確かにそれもあるのだが、もしそれだけだとしたら、ぼくは遠の昔に会社を辞めていなければならない。
いつまでたっても増えない収入に、幻滅感を抱いたこともある。
ぼくがその会社に入社して5年間は、とても人に言えるような収入ではなかった。
5年たって少しは改善されたが、それでも世間一般の収入ではなかった。
また、その店長と同じくらい仲の悪かった店長もいる。
その時の店長から左遷されたこともある。
それを聞きつけた大手スーパーDが、「うちに来てくれ」と言ってきた。
しかし、ぼくは辞めなかった。
創業以来勤めている会社に対して、強い思い入れがあったからだ。
希望もあった。
だから、そのくらいのことで辞めたくはなかったのだ。
「もう少し我慢すれば、必ずよくなる」
その思いが、ぼくを会社に居座らせた。

しかし、創業して10年たったのに何も改善されない。
逆に労働時間は増えていくし、ろくでもない店長は来るし。
ぼくはだんだん先が見えなくなっていった。
しかもその間、同期の人間が次々と辞めていく。
おそらく彼らもぼくと同じ考えであったに違いない。
一人辞め、二人辞めしていくうちに、ぼくの「希望」も危ういものになっていった。
そういう時、あのクレーム事件が起きたのだ。

それからしばらくして、ぼくを退職に走らせる決定的なことがあった。
それは、先に会社を辞めていた一人の先輩からの電話だった。
「おい、しんたか」
「はい」
「お前、まだ会社におるつもりか?」
「は?」
「おれなあ、悪いうわさを聞いたんやけど」
「何ですか?」
「お前たち10年生は全員飛ばされるぞ」
「え?」
「ある人から情報が入ったんやけど、片田舎の店に転勤になるらしい。もし断ったら、辞めないけんようになるらしいぞ」
「・・・」
「そのために今の店長が行ったらしい」
ぼくは呆然とした。
その先輩の情報が確かだとしたら、今までの経緯からして、ぼくが真っ先に飛ばされるだろう。
ぼくは親を見ないとならないので、転勤など出来ないのだ。
ということは、辞めるしかない。
ぼくはこの時、初めて「辞めよう」と思った。
どうせ辞めさせられるのなら、こちらから先手を打とう。
さもないと、もし辞めさせられたら、ぼくはそのことを一生引きずっていくことになるだろう。
まさに「プライドが許さん!」である。

この先輩情報を「ガセネタ」とみることも可能だった。
しかし、あの店長のことである。
前に、その店長が以前いた店でも、何人もの人を飛ばし、何人もの人を辞めさせたと聞いたことがある。
「ここは情報どおりに捉えておいたほうが無難だ」とぼくは思った。
はたしてこの判断は正しかった。
ぼくが辞めてから1ヶ月ほどして、会社に残っていた同期の人間が、関東行きの辞令を受けたのだ。
彼は断った。
そして、転勤の日に会社を辞めたという。

さて、退職を決断したぼくは、辞めるタイミングを計っていた。
そういう時、あの歴史に残る大型台風がやってきた。
9月27日だった。
後日、青森のりんごを壊滅させた、台風19号が北九州を通過したのだ。
付近の百貨店や商店は早々と店を閉めたのだが、うちの店だけは定時通り営業を行った。
電車やバスは当然運休になり、ぼくは帰る手段をなくしてしまった。
どうしようかと迷ったあげく、ぼくは店の近くで働く高校の同級生に電話をかけた。
「しんたやけど」
「おう、どうした?」
「帰れんくなったけ、飲み行こうや」
「いいよ」

ぼくは、友人といつもの店で待ち合わせた。
ぼくが店に着いてからしばらくして、友人はやってきた。
いつものように馬鹿を言いながら飲んでいると、突然友人が真顔になって、「しんた、今の仕事辞めたいと思わんか?」と言った。
「どうした?」
「おれ、今まで我慢してきたけど、もう限界だ」
いろいろ友人の愚痴を聞かされた。
そこで、ぼくは言った。
「じゃあ、辞めようや。おれも辞めるけ」
「しんたも?」
友人は唖然とした顔をしていた。
「で、しんたはいつ辞めると?」
「早いほうがいいやろ」
「そうやのう」
「明日辞めようや」
「じゃあ、そうするか」

そういうことで、ぼくたちは翌28日に、各々の会社に退職の意思を伝えた。


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