ここまで読まれた方は、ぼくが退職に至った理由が、会社への幻滅感と店長との不仲にあると思われるかもしれない。 確かにそれもあるのだが、もしそれだけだとしたら、ぼくは遠の昔に会社を辞めていなければならない。 いつまでたっても増えない収入に、幻滅感を抱いたこともある。 ぼくがその会社に入社して5年間は、とても人に言えるような収入ではなかった。 5年たって少しは改善されたが、それでも世間一般の収入ではなかった。 また、その店長と同じくらい仲の悪かった店長もいる。 その時の店長から左遷されたこともある。 それを聞きつけた大手スーパーDが、「うちに来てくれ」と言ってきた。 しかし、ぼくは辞めなかった。 創業以来勤めている会社に対して、強い思い入れがあったからだ。 希望もあった。 だから、そのくらいのことで辞めたくはなかったのだ。 「もう少し我慢すれば、必ずよくなる」 その思いが、ぼくを会社に居座らせた。
しかし、創業して10年たったのに何も改善されない。 逆に労働時間は増えていくし、ろくでもない店長は来るし。 ぼくはだんだん先が見えなくなっていった。 しかもその間、同期の人間が次々と辞めていく。 おそらく彼らもぼくと同じ考えであったに違いない。 一人辞め、二人辞めしていくうちに、ぼくの「希望」も危ういものになっていった。 そういう時、あのクレーム事件が起きたのだ。
それからしばらくして、ぼくを退職に走らせる決定的なことがあった。 それは、先に会社を辞めていた一人の先輩からの電話だった。 「おい、しんたか」 「はい」 「お前、まだ会社におるつもりか?」 「は?」 「おれなあ、悪いうわさを聞いたんやけど」 「何ですか?」 「お前たち10年生は全員飛ばされるぞ」 「え?」 「ある人から情報が入ったんやけど、片田舎の店に転勤になるらしい。もし断ったら、辞めないけんようになるらしいぞ」 「・・・」 「そのために今の店長が行ったらしい」 ぼくは呆然とした。 その先輩の情報が確かだとしたら、今までの経緯からして、ぼくが真っ先に飛ばされるだろう。 ぼくは親を見ないとならないので、転勤など出来ないのだ。 ということは、辞めるしかない。 ぼくはこの時、初めて「辞めよう」と思った。 どうせ辞めさせられるのなら、こちらから先手を打とう。 さもないと、もし辞めさせられたら、ぼくはそのことを一生引きずっていくことになるだろう。 まさに「プライドが許さん!」である。
この先輩情報を「ガセネタ」とみることも可能だった。 しかし、あの店長のことである。 前に、その店長が以前いた店でも、何人もの人を飛ばし、何人もの人を辞めさせたと聞いたことがある。 「ここは情報どおりに捉えておいたほうが無難だ」とぼくは思った。 はたしてこの判断は正しかった。 ぼくが辞めてから1ヶ月ほどして、会社に残っていた同期の人間が、関東行きの辞令を受けたのだ。 彼は断った。 そして、転勤の日に会社を辞めたという。
さて、退職を決断したぼくは、辞めるタイミングを計っていた。 そういう時、あの歴史に残る大型台風がやってきた。 9月27日だった。 後日、青森のりんごを壊滅させた、台風19号が北九州を通過したのだ。 付近の百貨店や商店は早々と店を閉めたのだが、うちの店だけは定時通り営業を行った。 電車やバスは当然運休になり、ぼくは帰る手段をなくしてしまった。 どうしようかと迷ったあげく、ぼくは店の近くで働く高校の同級生に電話をかけた。 「しんたやけど」 「おう、どうした?」 「帰れんくなったけ、飲み行こうや」 「いいよ」
ぼくは、友人といつもの店で待ち合わせた。 ぼくが店に着いてからしばらくして、友人はやってきた。 いつものように馬鹿を言いながら飲んでいると、突然友人が真顔になって、「しんた、今の仕事辞めたいと思わんか?」と言った。 「どうした?」 「おれ、今まで我慢してきたけど、もう限界だ」 いろいろ友人の愚痴を聞かされた。 そこで、ぼくは言った。 「じゃあ、辞めようや。おれも辞めるけ」 「しんたも?」 友人は唖然とした顔をしていた。 「で、しんたはいつ辞めると?」 「早いほうがいいやろ」 「そうやのう」 「明日辞めようや」 「じゃあ、そうするか」
そういうことで、ぼくたちは翌28日に、各々の会社に退職の意思を伝えた。
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