東京にいた頃の話。 下宿に帰ると、門の前に一人の男の人が立っていた。 ぼくは軽く会釈をして、その人の前を通り過ぎようとした。 その時だった。 「すいません」と男が言った。 「はい」とぼくが答えると、「君、いなかどこ?」と聞いてきた。 「北九州ですけど」 「へえ、北九州か。知ってるよ。大分県でしょ」 「は?福岡県ですけど」 「あ、そうそう福岡だったね」 話を聞くと、その男は新聞の勧誘マンで、その日はぼくの下宿付近を回っていたのだった。 「ねえ、新聞取って下さいよ」と男は言った。 「そんな余裕ありません」 「3ヶ月先からでいいからさあ」 「いやです」 「そんなこと言わずに」 この男、相当しつこい。 そこで、「北九州を大分と思っている人からは取れません。新聞取ってもらいたかったら、北九州にある区名を覚えてきて下さい」と、ぼくは言った。 「わかった。じゃあ、今度覚えてくるから。その時は取ってね」と言って男は去って行った。
同じく東京での話。 「しんたさん、いなかどこだっけ?」 「北九州やけど」 「ああ、福岡県の県庁所在地だろ」 「違う。県庁所在地は福岡市」 「ところでさあ、福岡市の近くに博多ってあるだろ?」 「博多は福岡市にあるんやけど」 「え、そうだったの。知らなかったなあ」
東京にいる時、ぼくはいつもこの「いなかどこ?」攻撃にあっていた。 しかも聞いてくる人は、地理を十分に把握していない人が多かった。 「そんなに人のいなかを聞きたいのなら、少しは地理ぐらい勉強して来い。話がそこから進まんやないか」 いつもぼくは、そう思っていた。
かといって、ぼくはそんなに地理に詳しいわけではない。 いまだに群馬県や栃木県の県庁所在地を聞かれたら、詰まってしまう。 「宇都宮、前橋、どっちがどっちだったか」と迷ってしまうのだ。 だから、ぼくはその人の訛りを聞いて、出身地がどこであるのか判断がつきにくい場合は、なるべくその人の出身地を聞かないことにしている。 そこが行ったことのある場所や知っている場所なら話も弾むが、知らない場所なら話はそこで途切れてしまうからだ。 例えば前出の前橋の場合は、詩人の萩原朔太郎の出身地くらいしか知識を持ってない。 もし前橋の出身の人と会ったら、「前橋は、萩原朔太郎の出身地ですよね」、で終わってしまう。 その後が出てこないのだ。 宇都宮にいたっては、「TMネットワークに宇都宮というのがいたなあ」である。 上記の2ヶ所にお住まいの方には大変申し訳ないが、今現在ぼくにはこの程度の知識しかないのです。 この次、上記の都市名を使う時までには勉強しておきますので、その時は新聞取って下さい。(笑)
逆に行ったことのある場所や、知っている場所やから来た人と対する時は、非常に饒舌になる。 例えば沖縄出身の人と対した時は、琉球村・万座毛・東南植物園・玉泉洞・喫茶マカオに始まり、続いて那覇やコザについて語り、なんと最後には民謡まで歌っている。 ここまでやると、自分の故郷が嫌いな人以外は、だいたい親近感を抱いてくれるようだ。 大阪出身の人もそうだ。 「じいちゃんが、昔住んでいてね〜」で始まり、『ふりちん痰つぼ』まで話をすることもある。 「しんたさんは、けったいな人や」と思われているかもしれないが、その後の人間関係は、おおむね良好である。
まあ、相手の出身地で人間関係が決まるわけではないのだが、人間関係を築くための、ひとつのきっかけになっているのは確かだ。 そのためには勉強が必要だ。 「TMネットワークに宇都宮というのがいたなあ」では、話にならない。 冒頭の新聞勧誘マンも、「北九州か、無法松だね。『小倉生まれで 玄海育ち〜♪』」とやっていれば、その場で打ち解け、朝刊ぐらいは取っていたかもしれない。
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