2002年09月16日(月) |
敬老の日特集「じいちゃん」 その2 |
名古屋の叔父の話をしたが、この人も、じいちゃんの血を受け継いだのか、放浪癖のある人で、一時行方不明になっていたことがある。 その間、オートレースのレーサーをやっていたという話だ。 それが本当ならすごい話であるが、惜しむらくは、この人もじいちゃん同様ほら吹きなので、その真偽のほどはわからない。 ただ、バイク好きというのは確かで、名古屋に移ってからも、50ccのスーパーカブで九州まで帰ってきたりしていた。
その叔父がまだこちらに住んでいた時のこと。 バイクで走っている時、突然前の車が急停車した。 「信号は青なのに、なぜ停まるんか?」とその車の前を見てみると、背の高い男の人が、ステッキをひょいと上げ横断歩道を渡っているのだ。 「バカ野郎!赤やないか」と言おうと思った時、偶然その横断者の顔が見えた。 なんとその横断者は自分の親父、つまりじいちゃんだった。 さすがに気の荒い叔父も、口を開けなかったと言う。
これも目が悪いせい(極度の近眼。そのおかげで兵役を逃れたらしい)なのだが、そのくせ家で寝てない時は、しょっちゅう一人で遠くまで行っていたようだった。 食事の時などに「今日はどこどこまで行った」などと言っていた。 そのたびに伯母から小言を言われた。 「じいちゃん、目が悪いのに、あんまり遠くに行かんどって。心配するやろ」 伯母が小言を言う時は、じいちゃんはいつも聞こえないふりをしていた。 そういえば、ぼくが「じいちゃん、お小遣いちょうだい」と言っても聞こえないふりをしていたなあ。 ぼくが何か言うと、いつも「みみとうきょ」と言っていた。 「耳は東京に行って、お留守でございます」という意味だった。
じいちゃんとぼくは基本的にあまり仲がよくなかったが、じいちゃんらしいことをしてくれたこともある。 それは昔話を聞かせてくれることだった。 ぼくが日記で、よく昔話を書くのも、その影響からかもしれない。 じいちゃんは、気分が乗っている時には、いくつも話を聞かせてくれた。 しかし、気分が乗らない時には、ぼくが「じいちゃん、お話して」とせがむと、「歯のない人がおった」と言って、後は寝たふりをした。
ところで、じいちゃんはずっとぼくの家に住んでいたわけではない。 ぼくが小学4年の時、勝手に伯母の家に引っ越してしまった。 じいちゃんがいた部屋は、自ずとぼくの部屋になった。 しかし、じいちゃん臭さが残っていたため、その部屋を使い出したのは、中学になってからだった。 2年経っても、じいちゃん臭さはなくならなかったが、「まあ、じいちゃんがいた時よりはいいわい」と思い、その部屋を使うことにした。 ところが、それから4年後、ぼくが高校2年の時に、せっかく消えたはずのじいちゃん臭さがまた漂ってきた。 母は「おかしいねえ。しばらく臭いが消えとったのに」と言っていた。 ぼくはその理由を知っていた。 その頃から、ぼくはタバコを吸い始めたのだ。 つまり、じいちゃん臭さの根源はタバコだったわけである。
|