2002年09月15日(日) |
敬老の日特集「じいちゃん」 その1 |
ぼくのじいちゃん(母方)は徳島の生まれで、いいとこのボンボンだった。 一人息子だったので、当然跡取りになるはずだったのだが、生まれつきの自由人で、跡取りの権利を妹に譲り、さっさと家を出たという。 全国をくまなく旅して回り、ようやく落ち着いた所が大阪だった。 ここで軍関係の仕事をしながら、妻と4人の子供を養った。 戦時中、空襲が激しくなってきたため、一家はじいちゃんの里である徳島に疎開した。 そして戦後、大阪は焼け野原になっていると聞き、「じゃあ、九州に行こう。九州なら仕事がある」と、何の伝もない九州に一家は移り住んだ。 つまり、母たちが九州に来たのは、じいちゃんの気まぐれからであった。
ぼくが物心ついた頃、家族は6人だった、父が早死にしたため、男はぼくとじいちゃんだけだった。 世間は、じいちゃんがぼくの父親代わりをしてくれたと思っているようだ。 しかし、そうではなかった。 じいちゃんは若干目が悪かったものの、体格もよく、歩くのも速かったのだが、何をするでもなく、いつも家でゴロゴロと寝てばかりいた。 たまにはぼくと一つ上の従姉を、近くの公園に連れて行ってくれることもあったが、たいがい寝転んでいたように思う。 寝転んで何をしていたのかというと、聴きもしないラジオのボリュームを目一杯上げ、タバコをふかしていたのだ。 タバコを吸ってない時は寝ていた。 一度あまりラジオの音がうるさいので、ボリュームを下げたことがある。 すると寝ているはずのじいちゃんの口が、「聴きよる!」と言った。 若い頃軍関係の仕事をしていただけあって、さすがにスキがなかった。
ぼくが小学3年の時、名古屋の叔父が結婚することになったため、急きょ家族で名古屋に行くことになった。 新幹線がまだこちらまで来ていない頃で、新大阪までは急行寝台を使った。 黒崎駅に急行の発車30分前に着いた。 時間に余裕があったので、じいちゃんが「土産を買ってくる」と言って、駅前の商店街に行った。 ところが、じいちゃんは買い物に行ったっきり帰ってこない。 発車10分前になるのに、まだ帰って来なかった。 どうしたんだろうと、ぼくたちはじいちゃんを探しに行った。 程なくじいちゃんは見つかった。 駅の真前でタクシーを止めていたのだ。 「じいちゃん、何しよるんね」 「ああ、駅がわからんようになったけ、タクシーに乗っていこうと思って」 「駅は目の前やろ!」 こういう時じいちゃんはボケたふりをするのが得意だった。 「ほんと、世話がやけるんやけ。知らん土地にに行くんやけ、しっかりしてもらわんと困るやんね。迷子になったって知らんけね」と伯母は怒って言った。 が、じいちゃんは、どこ吹く風といった顔をしていた。
しかし、じいちゃんはこんなことでめげるような人ではなかった。 帰りも騒ぎを起こした。 今度は新大阪駅だった。 伯母と母が「トイレに行くけ、待っとって。絶対ここを動いたらいけんよ」と言って、トイレの中に入っていった。 念を押されたのにじいちゃんはじっとしていなかった。 「しんた、じいちゃんは買い物してくる」と言って、どこかに行こうとした。 「じいちゃん、伯母ちゃんが動いたらいけんち言うたやないね」 「迷子になんかならん」と言って、その場を離れた。 ぼくは心配なので付いて行った。 ところが、買い物を終えて、元の位置に戻ろうとしたが、その場所がわからない。 「あっちじゃない、こっちじゃない」とやっているうちに、30分近く経ってしまった。 ぼくが「交番に行こうか」とじいちゃんに言っていると、あちらから母が来るのが見えた。 「あんたたち、どこに行ってとったんね!」 母は真剣に怒っていた。 「あれだけ、動いたらいけんよっち言うたやろ」 「そう言うても、買い物があったんやけ」とじいちゃんは言った。 「私たちが帰ってきてからでも、よかったろうがね!」 じいちゃんはまたボケたふりをした。。 ぼくも後で「じいちゃんのせいで怒られたやんね」と文句を言ったが、無視された。
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