「八月葉月の虫の音は いとしゅうてならぬと鳴きまする」 佐藤公彦(ケメ)の名曲『通りゃんせ』の一節である。 ぼくは当初、八月葉月の虫を、セミのことだと思っていた。 しかし、これは旧暦のことだから、新暦では今時期ということになる、とわかったのはずっと後のことだった。 今日は旧暦の八月八日。 この歌のように、虫の音が夜を包んでいる。 まあ、「いとしゅうてならぬ」と鳴いているのかどうかは知らないが、虫が鳴くのはメスを誘うためだと言うから、的外れではないだろう。 それにしても、秋の虫は「キンキン」鳴きまするなあ。 疲れた頭によく響きまするわい。
さて、その虫のことでちょっと考えたことがある。 それはゴキブリのことである。 二日前に、店の中をうろうろしていたので、踏み殺した。 その前も、ぼくの部屋に侵入してきたので、叩き殺した。 彼らはいつも積極的に殺されてる。
どうしてこうゴキブリばかりが虐待されるのだろう? 彼らほど人類に忌み嫌われている虫もいない。 彼らとしては何も悪いことをしているわけではないのだ。 彼らはただゴキブリとして、まっとうに生きているだけである。
縄張りを侵害するから、人は彼らを死に追いやるのだろうか。 たしかにゴキブリは人の家に侵入してきて、そこで一家を構える。 ではコオロギはどうなんだ。 彼らも同じではないか。 しかし、彼らは人の縄張りを侵したからといって、積極的に殺されることはない。 それどころか、鈴虫と並んで、秋の虫の代表選手に祭り上げられている。 この差はなんだ?
人がゴキブリを忌み嫌うのは、その容姿がグロテスクだからだろうか? それならセミはどうなる。 セミのほうがよっぽどグロテスクな容姿をしている。 しかし、彼らは夏休みの宿題のために毒殺されることはあるが、叩き殺されるようなことはない。 部屋に紛れ込んできたら、殺さずに逃がしてやるではないか。 これがゴキブリならこうはいかない。 殺さないと気がすまないのだ。 この差はなんだ?
思うに、ゴキブリは鳴かないから、こういう扱いを受けるのではないだろうか。 鳴かないから愛想なしと思われるのだ。 愛想がないくせに、人の家に居候などしているから、叩かれたり、罠を仕掛けられたり、毒を盛られたりするのだ。 もし、ゴキブリが鈴虫のような声で鳴いたりする虫なら、こうまで虐待されないだろう。
以前テレビで白いゴキブリを見たことがある。 海外のゴキブリで、食用だと言っていたが、もし、人の家に生息しているゴキブリが白いものだったら、こうまでひどい扱いを受けなくてすむかもしれない。 しかもその白いゴキブリが鈴虫級の音色を奏でたとしたら、それはもう天使の虫と呼ばれ、重宝がられるに違いない。 そうなれば、ゴキブリの鳴く音に、そっと涙することもあるかもしれない。
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