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2002年09月14日(土) 八月葉月の虫の音は

「八月葉月の虫の音は いとしゅうてならぬと鳴きまする」
佐藤公彦(ケメ)の名曲『通りゃんせ』の一節である。
ぼくは当初、八月葉月の虫を、セミのことだと思っていた。
しかし、これは旧暦のことだから、新暦では今時期ということになる、とわかったのはずっと後のことだった。
今日は旧暦の八月八日。
この歌のように、虫の音が夜を包んでいる。
まあ、「いとしゅうてならぬ」と鳴いているのかどうかは知らないが、虫が鳴くのはメスを誘うためだと言うから、的外れではないだろう。
それにしても、秋の虫は「キンキン」鳴きまするなあ。
疲れた頭によく響きまするわい。

さて、その虫のことでちょっと考えたことがある。
それはゴキブリのことである。
二日前に、店の中をうろうろしていたので、踏み殺した。
その前も、ぼくの部屋に侵入してきたので、叩き殺した。
彼らはいつも積極的に殺されてる。

どうしてこうゴキブリばかりが虐待されるのだろう?
彼らほど人類に忌み嫌われている虫もいない。
彼らとしては何も悪いことをしているわけではないのだ。
彼らはただゴキブリとして、まっとうに生きているだけである。

縄張りを侵害するから、人は彼らを死に追いやるのだろうか。
たしかにゴキブリは人の家に侵入してきて、そこで一家を構える。
ではコオロギはどうなんだ。
彼らも同じではないか。
しかし、彼らは人の縄張りを侵したからといって、積極的に殺されることはない。
それどころか、鈴虫と並んで、秋の虫の代表選手に祭り上げられている。
この差はなんだ?

人がゴキブリを忌み嫌うのは、その容姿がグロテスクだからだろうか?
それならセミはどうなる。
セミのほうがよっぽどグロテスクな容姿をしている。
しかし、彼らは夏休みの宿題のために毒殺されることはあるが、叩き殺されるようなことはない。
部屋に紛れ込んできたら、殺さずに逃がしてやるではないか。
これがゴキブリならこうはいかない。
殺さないと気がすまないのだ。
この差はなんだ?

思うに、ゴキブリは鳴かないから、こういう扱いを受けるのではないだろうか。
鳴かないから愛想なしと思われるのだ。
愛想がないくせに、人の家に居候などしているから、叩かれたり、罠を仕掛けられたり、毒を盛られたりするのだ。
もし、ゴキブリが鈴虫のような声で鳴いたりする虫なら、こうまで虐待されないだろう。

以前テレビで白いゴキブリを見たことがある。
海外のゴキブリで、食用だと言っていたが、もし、人の家に生息しているゴキブリが白いものだったら、こうまでひどい扱いを受けなくてすむかもしれない。
しかもその白いゴキブリが鈴虫級の音色を奏でたとしたら、それはもう天使の虫と呼ばれ、重宝がられるに違いない。
そうなれば、ゴキブリの鳴く音に、そっと涙することもあるかもしれない。


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