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2002年08月29日(木) 恋愛に勝者なし

「君がほしい」(1975・8・29)

朝焼けが差し込み 今日の運命を決める朝に
灰色がかった空に 薄く日が差す昼に
カラスが鳴き叫び こうもりが群がる夜に
君がほしい

みんなが美しいと言う花に そっぽを向く時
みんなが素晴らしいと言う 風に向かって歩く時
みんなが この時間がにせものだと思う時
君がほしい

 組み合った手は すべてを引きつけ
 その中に君がいることも たしかだろう
 君にすべてを向けたい だけど心は遠くに
 君がほしい 君がほしい 君がほしい

さっきからの夜が 影を映し出す
そこで君が 今夜のありかを確かめる
「ここから先は もう何も見えないみたい」
君がほしい

草むらの陰に隠れ じっと息を止めると
どこからともなく 光の声がする
「話が違うじゃないの あんたうそつきね」
君がほしい

 組み合った手は すべてを引きつけ
 その中に君がいることも たしかだろう
 君にすべてを向けたい だけど心は遠くに
 君がほしい 君がほしい 君がほしい


高校3年の時に作った詩だ。
この頃、ぼくは深い恋をしていた。
その人とは結ばれないと、本能的にはわかっていたのだが、それでも彼女に対する激しい感情は抑えることが出来なかった。
その感情が、詩となり、歌になったと言っても過言ではない。
結局、ぼくはその人のことを、高校1年の時から8年間思い続けた。
途中、他に好きになった人がいないではないが、その人への想いには勝てなかった。
不器用なぼくのことである。
その人とは、もちろん片思いのままで終わった。
終わったと自覚したのは、その人が結婚したというのを聞いた時だった。
想っては諦め、諦めては想い、の8年間だった。
その8年間の恋を、ぼくは次の詩で締めくくった。


「思い出に恋をして」(1981)

メルヘンの世界に恋しては
ため息をつきながら扉を右へ
行き着くところもなくただひたすら
影が見える公園へと歩いて

帽子をかぶった小さな子供たち
楽しそうに何かささやいて
ひとつふたつパラソル振って
空の中へ向かっていく

明日は晴れるといいのにね
小さな雲に写った夕焼けが
君たちのしぐさを見守っているよ
そのうちにパラソルも消えて

悲しいのは今じゃない
思い出にこだわるぼくなんだ
気がついてみると君を忘れて
ただつまらぬ思い出に恋をして


また、数年後、その8年間を振り返ってもみた。


「プラトニック」(1986)

今 君がどこにいて何をしてるかなんて
ぼくには関心ないことなんだよ
もっと大切なことは 君を心の中から
離したくない それだけなんだよ

 いつも、君はぼくの中にいる
 もっと、素敵な笑顔見せてくれ
 早く、もっと早くぼくの前に
 明るい風を吹かせてくれ、いいね

もう 時を急ぐことはない
ぼくは 時を超えているんだから
今 君がどんなに変わっていても
吹きすぎる風は ぼくにやさしい

 いつも、君はぼくの中にいる
 もっと、素敵な笑顔見せてくれ
 早く、もっと早くぼくの前に
 明るい風を吹かせてくれ、いいね


悲しいものである。
人に恋をするということは、病気になるということだ、とぼくはこの詩を書いた時につくづく思った。
まあ、病気ではないにしろ、まともな精神状態でないことはたしかだ。
片思いでさえ、こんなふうなのだから、相思相愛であったとしたら、かなり重症である。
それは目を見たらわかる。
何かトロンとしているものだ。
自分を見失っている証拠だろう。

以前、ある人に彼女の話をした時、「結局、おまえは今のだんなに負けたんだな」と言われた。
しかし、ぼくが好きだということが、その人にうまく伝わってないのに、「だんなに負けた」もないものだ。
そういえば、よく恋は勝ち取るものだと言うが、ぼくはそれは間違っていると思う。
いったい何を基準に恋の成就と言うのだろう。
セックスまで至ることが成就なのか?
結婚に至ることが成就なのか?
心中することが成就なのか?
どうもはっきりしない。
基準のはっきりしないものに、勝ち負けなんかあるはずないじゃないか。
だいたい、病気の度合いを競って、何になると言うのだろう。
どんなに深い恋でも、いつかは消え去ってしまうものだ。
そんな一過性の病気のようなものに、優劣をつけること自体おかしい。
つまり、恋愛に勝者なし、ということである。

ああ、ぼくは恋愛の勝者を求めていたのかなあ。
であれば、片思いより、そちらのほうが悲しい。


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