2002年08月27日(火) |
1月6日の日記の続き |
最近、休みが取れないでいる。 基本的に火曜日と金曜日が休みなのだが、人員削減の結果、どうもローテーションがうまくいかない。 先週の金曜日は商品の入荷日のため午前中出勤になった。 今日は今日で、昼から会議だった。 昔は休みも取らずに頑張れたのだが、40歳を超えたころから、これが苦痛になった。 肉体的には別に何ということはない。 ただ寝不足が辛い、ということだけである。 問題は精神的なものにある。 目が覚めてから、「今日は休みだ」と思うのと、「今日も仕事だ」と思うのは、全然違う。 雨が降っていても「休みだ」と思うのは、晴れているがごとく感じる。 逆に晴れていても「仕事だ」と思うのは、どんよりと雲が垂れ下がったように感じる。 まあ、何にしろ、今まであった「日常」というものを崩されるということが、こんなにも苦痛なものなのか、と思い知らされる日々である。
愚痴はここまでにしておこう。 今日のテーマは、今年の1月6日の日記に、店の屋上で血を流して倒れていたおっさんのことを書いたが、その続編である。 その休日出勤となった先週の金曜日。 午前11時頃だった。 9時前に出勤していたぼくは、ようやく検品作業を終え、家に帰ろうとした時だった。 一人の品のいい年配の男の人が「店長さんいますか」と言って、事務所に入ってきた。 ぼくは店内放送で店長を呼んだ。 店長とその男性は、倉庫でしばらく話をしていたが、「その件は私は知りません」と言う店長の声が聞こえた。 そして店長は「しんたさん」とぼくを呼んだ。 「1月に屋上で人が倒れとった話を知っとるかねえ」 「ああ、知ってますよ」 「誰が担当したんかねえ」 「一応、第一発見者は、ぼくということになっていますけど」 「ちょうどよかった。この方が話があるらしいよ」 そう言って店長はその場を離れた。 前にも話したが、店長はこの8月に転勤したばかりで、そんな事件があったことは知らない。
さっそくその男性は、ぼくに名刺を見せた。 名刺に書いてある社名では、その仕事の内容がわからなかったが、その男性の説明で、興信所みたいな会社ということがわかった。 その人は、倒れた男性の調査をしにきたのだ。 その人が調査を始める前に、ぼくは「あの人どうなったんですか?」と尋ねた。 「救急車で病院に運ばれた後、しばらく意識があったんですが、その後意識がなくなって、植物状態になりました。 そして先々月、6月に急性肺炎で亡くなりました」 「ああ、亡くなったんですか」 調査が始まった。 「そのときの状況を教えて下さい」 ぼくは、あの日の日記に書いていたことを、思い出しながら言った。 「倒れていたのはどこですか?」 ぼくは屋上までその人を連れて行き、その場所を教えた。 「どこに血が流れていたのですか?」 「この辺一帯です」 「小便をしていたらしいですね?」 「それはこの壁です」 「吐いた跡もあったとか」 「うーん、吐いてたのは覚えてますけど、場所まではよく覚えていませんねえ」 20分ほど彼はぼくに質問したのだが、変に吐いたことに執着しているようだった。 「飲んでたんですか?」 「さあ、どうだったか」 後で思い出したのだが、そのときの状況は、この日記に詳しく書いていたのだった。 そう、おっさんは酒気帯び運転で店まで来ていたのだ。 あいまいな説明をするよりも、このサイトを教えてやればよかった。
そういえば、死んだおっさんには娘がいた。 おそらく、おっさんが死んだので保険金を請求したのだろうが、現金なものである。 この親子は絶縁状態と言えるほど、仲が悪かったらしい。 警察が身元を確認するために娘を呼んだ時も、娘は行くのを拒んだという。 怪我をすると他人で、死ぬと親子か。 世知辛い世の中である。
ぼくはこの調査のおかげで、家に帰り着いたのは、午後1時を過ぎていた。 仕事中なら、別に1時間や2時間は苦にならない。 しかし、休みの日の1時間は貴重である。 以前はそこまで時間には執着しなかったのだが。 そう思うようになったのは、仕事のために休日を利用しなくてはならなくなったからだ。 この無駄になった時間を、娘に請求しようかなあ。
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