十数年前、「嫌煙権」という言葉が世の中にお目見えした頃のことだ。 当時ぼくはJRで通勤していた。 電車内での喫煙は、まだ普通に行われていて、世間もそれほどやかましくは言ってなかった。
ある日の会社帰り、ぼくは小倉駅で時間待ちしていた電車に乗った。 発車時刻までまだ時間がある。 乗っている人もまばらだったので、ぼくはタバコを吸い始めた。 半分くらい吸い終えた時だった。 けっこう離れた席に座っていた20代くらいの女性がぼくのところにやってきて、「すいません。タバコをやめてもらえませんか」と言った。 ぼくが「ああ、嫌煙権ですか?」と聞くと、その女性は「いや、そんなんじゃないんですけど、私タバコの煙がだめなんです」と言った。 「わかりました」とぼくは言い、タバコの火を消した。 しばらくして、発車時刻も迫り、だんだん人が多くなってきた。 すると、どこからともなくタバコの臭いがしてきた。 誰が吸っているのかと思い、顔を上げて見回すと、ぼくに意見してきた嫌煙権女のすぐそばで、強面のおっさんがタバコを吸っている。 あの女どうするかなと思って見ていると、意見するでもなく、黙って本を読んでいる。 「おいおい、タバコの煙が死ぬほど嫌だったんじゃないのか。 それとも何か。 ぼくのタバコの煙はだめで、おっさんの煙ならいいとでもいうのか。 確かに相手は強面だが、あんたは人を選ぶのか。 自分の主張を貫けないような嫌煙権ならやめてしまえ」 と、ぼくはその時思った。
その後時代は進み、現在我々喫煙家は、実に肩身の狭い思いをしている。 ファミレスの喫煙席は、いつも満員だ。 そのため、禁煙席に回される。 電車や飛行機の中では吸ってはいけない。 駅では灰皿をホームの隅っこに置かれる。 そこで吸っていても白い目で見られる。 以前、ホームの隅っこでタバコを吸っている時、ぼくのいる位置から5メートルほど離れたところに、マスクをしたばあさんがいて、迷惑そうな顔をしてこちらを睨んでいる。 そしてわざと咳払いを繰り返している。 調べてみると、ぼくのほうが風上で、煙がばあさんのほうに流れて行っているのがわかった。 しかし、いくら煙が流れて行こうとも、ぼくはちゃんと所定の場所で吸っているのだ。 ここ以外のどこで吸えと言うのだ。 嫌なら、ばあさんのほうが場所を移ればいいじゃないか。 あんたの体臭や、膏薬の臭いほうが、よっぽど迷惑だわい。
よく「あなたの吐く煙が、私の健康を害す」と言うが、こちらにも言い分がある。 「あなたたちを気遣ってタバコを我慢しなければならない。そのストレスが、私の健康を害す」 こう言うと、喫煙家の勝手な言い分だと言われるが、元はと言えば、そちらの「私が迷惑しなければ、あんたのことは知ったこっちゃない」という身勝手さから始まったものじゃないか。 本当の愛煙家といものは、周りの人を気遣い、吸う場所も充分にわきまえている。 あたりかまわず吸っている、カッコつけの兄ちゃんたちといっしょにしないでほしいものだ。
さて、タバコの話は以前にもしたことがある。 では、なぜこの話をまたするのか。 それは今月の頭にさかのぼる。 実は店長が換わったのだ。 以前の店長は喫煙家だったが、今度の店長はまったくタバコを吸わない。 赴任してからの第一声が、「タバコは体に悪い」だった。 そのため、勝手に禁煙タイムを作り、喫煙場所まで決めてしまった。 こちらは、吸えないわけではないから別にいいやと思っていたのだが、最近になって、所定の場所で吸っていてさえも、変な目で見られるようになった。 この視線を感じるようになって、ぼくは自分の店でタバコを買うのをやめた。 先月までは、タバコをひと月分買いだめしていたのだが、このことがあってから、「売り上げ協力して歓迎されない店で、誰が買うか!」という気分になったのだ。 とにかく、タバコを吸う人を悪人を見るような目で見ることはやめてほしいものだ。
嫌煙権というものを許すのなら、喫煙権というのも認めるべきである。 もう、嫌煙家の言いなりにはならないぞ!
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