今日は処暑、暦どおり暑さも一段落したようである。 昼間、日差しは強かったものの、なんとなく涼しく、物悲しさを感じたものだった。
ところで、そろそろ夏休みも終わりである。 先日ニュースで、佐賀の何とかいう分校の、始業式の風景を映していた。 九州にしては、えらく早い始業式である。 この分校は冬休みが多くあるのだろうか。 それとも時代を先取りして、秋休みを設定しているのだろうか。 「この時期に始業式か。宿題する暇ないやん」などと思いながら、ニュースを見ていた。
小学生の頃は、21日の登校日になると、「今日から毎日4日分の宿題をやっても充分に間に合う」と思っていた。 それが24日、つまり1週間前になると、「今日から毎日5日分の宿題をやれば間に合う」と思うようになる。 そう、21日から24日まで何もやっていないのである。 そういう状態で、夏休みが終わる3日前まで過ごしていた。 ということで、29日ともなれば地獄だった。 早々と宿題を終えた子が遊びにくるが、遊べない。 伯母は、この時期になると、よく「アリとキリギリス」の話を言って聞かせてた。 おかげで、ぼくは「アリとキリギリス」の話が大嫌いである。
ぼくが夏休みの宿題をぎりぎりまでしなかったのは、早くも小学1年の時からである。 夏休みの宿題帳であった「夏休みの友」というのは、その頃同居していた厳しい伯母の指導の下、なんとか計画通りにやっていた。 しかし、絵日記のほうを怠っていた。 これが難物であった。 何とか覚えているのは、海水浴に行ったことくらいで、後は代わり映えのしない毎日だったので、これをどうまとめていくのかが、大きな課題となった。 結局、代わり映えのしない毎日を一括して描くものだから、代わり映えのしない絵日記になってしまった。
その頃、どういうことを絵日記に書いていたかを思い出しているのだが、思い出せないでいる。 あまり印象に残ってないから、きっと今の日記と同じで、つまらないことをうだうだと書いていたのだろう。
その「うだうだ」の中で、ひとつだけ鮮明に覚えているものがある。 それはゴミ出しの風景である。 今ゴミははゴミ袋に入れて所定の場所に出すのだが、当時はポリのゴミ箱をそのまま出していた。 収集車が来るのは、午前9時頃だった。 朝ごはんを食べた後に、慌ててゴミを持って行った。 これは今でもそうだが、北九州市のゴミ収集車は「乙女の祈り」のオルゴールを鳴らしながらやってくる。 爽やかな朝に「乙女の祈り」のオルゴール、やってくるのはゴミ収集車、不釣合いな組み合わせだが、これが妙にマッチしていた。 その印象を絵日記に書いたのだった。
絵日記といえば、このサイトを始めるにあたって、いっそ日記を絵日記にしようかと思ったことがある。 しかし、それはやめた。 なぜなら、ぼくは絵が下手だからである。 だいたいぼくは、図画工作が苦手な人間である。 とは言いながらも、小学2年生の頃まで、そう絵日記をつけていた頃までは、通信簿の点はまずまずだった。 粘土細工などは、学校の代表として、区の大会に出たこともある。 それがどうして苦手になったのか。 2年生の頃、図画の時間に、運動会の画を描けという宿題が出た。 そこでぼくは、かけっこの画を描いたのだが、先生が「しんた君、これはかけっこで走っている人が転んだ画かねえ」と言った。 「いや、走っている画やけど」 「私には転んでいるように見えるんやけど、みんなはどう思う?」 すると、みんな一斉に「こけてます」と言った。 確かにその画は3次元的な表現ができていなかった。 見ようによっては「こけている」ように見える。 しかし、精一杯描いたつもりだった。 それをけなされたので、へそを曲げたのである。 それ以来、ぼくは画を描くのが、いや図画工作が嫌いになったのだ。
しかし、そうは言ってもリクエストでもあれば・・・ いや、やっぱり止めときます。
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