先週の金曜日に床屋に行ったのだが、帰り際に床屋の姉ちゃんから、ちょっと気になることを言われた。 「髪が柔らかくなったねえ」 『それは髪が薄くなったということか』と聞こうと思ったのだが、小心者のぼくは、もしそうだったら困るので、何も聞かずに帰った。 家に帰ってからもそのことが気になっていたのだが、「白毛族はハゲない」という信念を貫こうと思い、そのことを極力考えないようにしていた。
ところが今日、風呂から上がって鏡を見ると、そこには、かつて見たことがない哀れな自分の姿が映っていた。 洗った髪の隙間から、地肌全体が透けて見えるのだ。 もちろん白髪なのだから、今までもある程度は透けて見えたのだが、今日みたいに頭全体に広がって見えたことはなかった。 『もしかして、これを髪細りと言うのか・・・』 これから起こるはずの楽しい人生が、ぼくの中で音を立てて崩れていく。 将来同窓会などで、かつて好きだった人と再会した時の、情けない自分の姿を想像すると、かなり辛いものがある。 その時に起こるかもしれない、甘いロマンスを期待していたぼくは馬鹿だった。 おそらく彼女には、年相応のただのおっさんにしか映らないだろう。 「このハゲのおっさんは誰だったか?」と思われるのも辛い。
しかしねぇ、今更育毛なんかやって行く気もせんのですよ。 すべて流れに任せる主義だから、細くなりゆく自分の髪を眺めては、ため息をついていくことにしますわい。
ぼくは20代の頃から、サラリーマンを辞めて、自由業に就きたいと思ってきた。。 理由は、髪を伸ばしたいからだ。 ロン毛と言われるほどには伸ばしたくないが、せめて高校時代くらい、そう耳が隠れるくらいは伸ばしたい。 まあ、髪が伸ばせるのなら、サラリーマンだってかまわないのだが、堅気の職場ではそういうことは許されないだろう。
これまで、サラリーマンを辞めるべく、いろいろな自由業を模索してきた。 ミュージシャンもそのひとつである。 40代になるまでは、レコード会社にデモテープを送ったり、スナックで歌ったり、といったことをしていた。 また、物書きになるべく、ワープロを買い込んで、必死に勉強した時期もある。 こういう努力も、すべては髪を伸ばすためである。 しかし、ミュージシャンや物書きには、いまだなれないでいる。 当然髪は伸ばせない。 もう40代も半ばである。 そろそろめどをつけないと、時間をかけて自由業に就いても、伸ばす髪がなくなっていたではシャレにならない。
さて、そろそろ髪が乾いてきた。 乾いてくると、髪細りはさほど目立たない。 かえって髪が多くなったような気がする。 さっきと今と、どちらが本当なんだろう。 もしかしたら、これも何かに化かされているせいなのかもしれない。 そういえば、現在夜中の2時なのだが、外はやけに明るい。
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