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2002年07月22日(月) アルバイト遍歴 その2

それから一度こちらに帰ってきたのだが、その時は前とは別の運送会社でアルバイトをした。
その会社は、長距離便や大手企業の下請けなど、いろいろな業務を行っていた。
ぼくが回されたのは宅配のほうだった。
当時ぼくは免許を持っていなかったので、もちろん助手である。
そこでは、ユニード(現ダイエー)や長崎屋といった量販店の配達を請け負っており、主に家電や家具の配達をやっていた。
宅配の仕事の中で一番苦労したのが、4、5階建ての公営・公団住宅に冷蔵庫やベッドといった大型商品を持って行く仕事だった。
この手の団地にはエレベーターがない。
そういう団地は決まって階段が狭いものである。
したがって小回りがきかない。
ちょっと気を抜くと、壁にこすってしまう。
そのせいか、「怪我はしていいけど、商品に傷をつけるな」というのが合言葉になっていた。
その言葉どおり、商品に傷をつけないために、ぼくは自分の手を犠牲にした。
手の甲を何度すりむいたことだろう。

しかし、ここではそんな痛い仕事ばかりではなかった。
おいしい仕事もあった。
それは引越しである。
ちょうど春先で、引越しの多い時期だった。
一度だけぼくも、引越しの手伝いに借り出されたことがあった。
けっこうきつい仕事だったが、帰る時にご祝儀もらった。
これがけっこうな額で、みんなで山分けしたのだが、それでも一人当たりの取り分は多かった。
そのバイトの日当よりも多かった。
約一ヶ月、その会社で働き、再びぼくは東京に行った。

東京でまた、友人とアルバイト探しの毎日だった。
ある日、アルバイトニュースで○運輸ところを見つけた。
場所は浅草橋だった。
友人が千葉に住んでいたため、バイトが終わったら、そのまま総武線で帰れるので都合がいいということで、そこをバイト先にすることにした。
浅草橋から少し歩いたところに、その○運輸はあった。
そこから少し行ったところに吉原という地名があったが、あの吉原なんだろうか。
相撲部屋が近くにあったので、歩いているとよく力士とすれ違った。
喫茶店にもパチンコ屋にも力士がいた。
午後4時から始まる仕事だったのだが、その時間帯は力士も休憩時間なのだろう。
さて、仕事のほうだが、4時から1,2時間、そこで荷物の積み込みをやる。
荷物には芳香剤、東京スタイル、工業用品の3種類があった。
芳香剤や東京スタイルの場合は、すべて定型の箱だったので、トラックに積み込みやすかった。
とくに東京スタイルは軽かったせいもあり、ぼくたちバイトは先を争って東京スタイルの積み込みをとっていた。
一方の工業用品のほうは、形がいちいち定まっていなかったせいで積み込みにくかった。
重さもまちまちで、おまけに油臭いときている。
誰もが敬遠した荷物であった。

そういう積み込み作業をしてから、バイトは全員トラックに乗り込んで次の作業場である豊洲埠頭に向かう。
そこにトラックの中継所があった。
埠頭であるから、もちろん船も着く。
トラックや船で運んできた荷物をここにいったん集め、それを地区別に仕分けして、そこに行く便に積み込む仕事だった。
ここでも東京スタイルは人気の的だった。
逆に嫌がられたのは、船で積んでくる荷物だった。
大きな機械から小さな鉄の球までいろんなものを積んでくる。
小さな鉄の球というのは直径15センチくらいで、重さはなんと25キロもあった。
そういうのが続けてくるわけである。
中にはドライアイスもあった。
これはグリーンのケースに入っており、重さは20キロだった。
夏場だったので冷やりとして気持ちよかったが、入れ物が汚かった。
こういう荷物を毎日運んでいた。
おかげでぼくの腕は太くなり、ポパイのような力こぶが出来るようになった。
ちなみにこの筋肉はいまだに落ちていない。
いかに運動をしてなくても、20回ほど腕立てをすれば、元の太い腕に戻るのだ。

 (つづく)


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