2002年07月21日(日) |
アルバイト遍歴 その1 |
19歳から22歳にかけて、ぼくはアルバイトばかりしていた。 決まったバイトではなくて、そのつど場所も職種も違った。
19歳の時は、エッセイにも書いているが、警備のアルバイトだった。 その年の4月から7月中旬にかけて、ぼくは人生最大のスランプに陥っていた。 そのことから立ち直る足がかりになったのが、この警備のアルバイトだった。 仕事慣れしていないせいもあり、あまり楽しい仕事ではなかった。 周りの人とトラブルばかり起こしていたような気がする。 しかし、ここを経験したから、次のステップが踏めたのだと思う。 それを考えると、決して無駄なことではなかった。 その後、市のアルバイト、プロレスのリング作りなどをやった。
年末に友人に誘われて、運送会社のアルバイトをした。 そこはデパートのお歳暮の配達をやっていた。 ぼくが配属されたのは、仕分け部門だった。 デパートのサービスセンターでお歳暮を配達の地区別に分けていく仕事だった。 商品に地区番号を書いていくのがぼくの仕事だった。 ベルトコンベアから次から次に流れてくる商品に、素早く番号を書かなければならない。 地区番号を覚えるだけでも大変だった。 しかし、1週間たち2週間たつうちに、住所を見ただけで瞬時に番号が出てくるようになった。 仕事はそういうことで慣れていったのだが、困ったのは人間関係だった。 そこにはデパートに雇われた大学生のアルバイト、実習教育の高校生、それと運送会社から派遣されたぼくたちがいた。 高校生はともかく、大学生とぼくたちの仲がすこぶる悪かった。 「しんたは生意気だからフクロにしよう」と言っていた大学生もいたようだ。 ぼくも「上等やないか。受けて立つわい」などと言っていた。 まさに一触即発の陰険なムードだったが、結局ぼくと同じ運送会社から派遣されていた大学生が仲裁、というよりも「しんたに手を出したら。おれがただでは済まさん」と脅しをかけたおかげで、大事には至らなかった。 その後、その大学生たちはぼくに愛想を振舞うようになった。 1ヶ月ちょっとのバイトだったが、けっこう有意義なアルバイトだったと思う。 その後、年が明けてから、雪の舞う中での漬物の家宅販売などをやった。 それから、東京に出たのだが、当初は何もやらずに、まず東京に慣れようとした。 それから数ヵ月後に、東京でのアルバイト生活が始まる。 まずやったのが、ビル清掃のアルバイトだった。 場所は麹町、日本テレビのまん前にあるビルだった。 ここは時給1000円と割のいい仕事だったが、日に2時間しか働かせてもらえなかった。 おかげで、バイト料は1週間も持たなかった。 飲み代に消えてしまったのである。 しかし、このバイトは4ヶ月続いた。 帰りに新宿中村屋で、肉まんを買うのが唯一の楽しみだった。
次にやったのが、晴海の集中郵便局での仕分けのアルバイトだった。 午後4時から翌朝7時までの仕事だった。 アルバイトは学生が主で、中には東大生もいた。 ほかのバイト団体が東大生を取り囲むようにして、「なんで東大の人がここにいるんだ」などと言っていた。 東大生といえども、一学生である。 「そっとしといてやればいいのに」、とぼくたちは言っていた。 それにしてもこの仕事は、休憩時間や仮眠時間はあるものの、立ちっぱなしの仕事だったため、慣れないぼくにとってはかなりハードだった。 職員は全逓労働争議であまり来てなかったし、来ていても仕事をしない人が多かった。 この仕事が、割がよかったのかどうかは知らないが、一度行くと7000円にはなった。 ぼくはこの仕事を一日おきにやっていたのだが、オフの日は何もやる気が起きなかった。 飲みに行く機会もグッと減り、また本屋に行く気も起きない。 したがってタンスの引き出しの中には、万札が何枚も入っていた。 使う気も起きないのだ。 それにしても、薄暗く、空気の汚い仕事場だった。 朝仕事が終わり、勝鬨橋を渡って帰る時のすがすがしさは今でも忘れない。
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