頑張る40代!plus

2002年06月14日(金) 富士山 その1

  富士の遊覧船

 雨の振る日に 船に乗って
 いつまでも 水面をながめる
 船の描く 輪の中に
 想い出ひとつの 雨がたまる

 思い出ひとつの 雨がたまれば
 船は 心をもったごとくに
 しずくにふたつみっつ 沈んでいく

  富士の遊覧船は
 何度も何度も回りながら
 思いでひとつに沈んでいく

 悲しみの時 影を落としたぼくは
 そんな 船の中から
 溺れぬようにと 祈りながら
 そんなゲームを 楽しんでいるのですよ


この詩を書いたのは、23年前のちょうど今頃だった。
千葉に住んでいた友人と、富士山に遊びに行った時のものだ。
その前日、ぼくは千葉の友人宅に泊まった。
酒でも飲みながら夜を過ごそうと思っていたのだが、翌朝10時に代々木で他の友人2人を拾うことになっている。
ということは千葉を朝7時頃に出ないと間に合わない。
深酒でもして寝坊したら大変だということで、その日は飲むことはせず、早目に就寝した。
翌朝、予定通り7時に友人宅を出て、津田沼にレンタカーを借りに行った。

8時にレンタカーを借り、津田沼を出発した。
当初は京葉道路を使うつもりだったが、下の道で行っても2時間あれば充分間に合うだろう、ということで下の道を行った。
それが甘かった。
東京に入るまで約1時間かかり、東京に入ると何度も渋滞にあってしまった。
結局、代々木に着いたのは午後1時を過ぎていた。

待ち合わせ場所に行くと・・・。
もちろん誰もいない。
どんなお人よしでも3時間も待つ馬鹿はいない。
その時は、代々木の喫茶店で待ち合わせていたのだが、店の人に「10時頃、こういう人は来てなかったですか?」と聞いてみると、「ああ、来てましたよ」という。
友人と顔を見合わせ、「困ったのう。どうしようか」と言った。
しかし、せっかくレンタカーを借りてきたのである。
ここで引き返すのもバカらしい。
ということで、ぼくたちは富士に向けて出発した。

とはいえ、ぼくは福岡の出身、友人は福島の出身である。
富士に行く道を知らない。
「まあ、西に向かって行きよったら、何とかなるやろう」ということで、とにかく出発した。
友人が「たしか、八王子から高速に乗るらしい」と言うので、「じゃあ八王子に行けばいい、ということやん。何とかなるやろう」とぼくたちは甲州街道に向かった。
甲州街道に出てから、迷うことなく、中央高速の入口に着いた。

さて、高速に乗ってしばらくすると小雨が降り出した。
朝方から曇っていたのだが、途中晴れ間も出たりして、持ち直すかと思われたが、ここに来てついに降り出した。
雨が降ると困ることがあった。
それは、その当時ぼくはまだ運転免許を持ってなかったので、その友人が一人で運転していたのだ。
しかも、友人は免許を取って初めて遠出をする、と言うことだった。
「今まで、運転して雨に降られたことがないんだよな。できたら雨の日には運転したくない」と常々言っていた。
無常にもその雨が降り出したのだ。
これには困った。
仕方がないので、最寄のパーキング入り、食事をしながら雨が止むのを待つことにした。

しかし、雨はいつまでたっても止まなかった。
しかたなく、出発することにした。
ところが、幸いなことに、高速道路はさっきよりもすいていた。
というより、走っている車は、ぼくたちの車しかなかったのだ。
これに勇気付けられた友人は、そのまま河口湖畔まで突っ走って行った。

その日は河口湖と山中湖を回った。
河口湖に着いたのはもう4時を過ぎていたので、当初予定していた富士山や白糸の滝には行けなかったのだ。
しかし、野郎二人の河口湖や山中湖はいただけない。
結局することもないので、山中湖畔に停めてあった外車の前でポーズを作り、お互いの写真を写しただけに過ぎなかった。

帰りは中央高速を降りてから、首都高、京葉道路を使って、津田沼まで戻った。
さすがに高速を使うと早いものである。
途中首都高が渋滞していたものの、時間にして1時間ほどで津田沼に着いた。
「最初から高速使ってればよかったね」
「明日は、あいつらから文句言われるやろうのう」

翌日、案の定代々木で待ち合わせた二人の友だちから、散々文句を言われた。
文句を言う気持ちもわかる。
一人は横浜、もう一人は埼玉から、わざわざ代々木まで来ていたからである。
じゃあ、今度埋め合わせをする、ということで納得してもらった。
再び富士山に向かったのは、その2週間後であった。


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