部屋に入ると、ホステスが口を開いた。 「あの店、こういうシステムになってるの。ごめんね。それで、3万円なんだけど」 「そんな金ない」 「今日じゃなくていいよ。何なら明日、泊まってるホテルに取りに行ってもいいから」 「ホテルに帰っても、そんな金はない」 「じゃあ、2万円でいいからさあ」 「しつこいねえ。ないもんはないんたい!!」 ぼくがかなり頭に来ていると気づいて、ホステスは困った顔をした。 ちょうどその時電話がかかった。 「ちょ、ちょっと待ってね」とホステスは電話に出た。 どうやら仲間からの電話のようだった。 方言、つまりウチナーグチでしゃべっているので、こちらはなんと言っているかわからなかった。 おそらく、「こいつ、金持ってないみたい」とでも言っていたのだろう。 しばらく電話でやりとりしていたが、突然「お友だちよ」と言って、受話器をぼくに渡した。
受話器の向こうはGさんだった。 「しんちゃーん、どうしょうか。おれ金ないよー」 「おれもないけど。もし金があってもせんよ」 「出ると?」 「当たり前やん」 ぼくは受話器を置いた。 「お友だち、何だって?」 「あんたに関係ないやろ」 「ね、どうする?」 「帰る!」 ぼくはそう言うと、ホテル代を置いて外に出た。
「さて、どうしようか」と思っていると、Gさんが出てきた。 続いてKさんも出てきた。 二人とも口々に「冗談じゃない。小倉のソープだって、1万5千円も出せば充分のに。ボリすぎやのう」などと言っている。 二人はどうもしたかったようだ。 「だけ、松山に行こうっち言うたやろ」とぼくが言うと、二人は黙っていた。 その時、突然雨が降り出した。 沖縄特有のスコールである。 もちろんぼくたちは傘を持ってない。 しかし、そこにいるのも変だから、歩いて宿舎に帰ることにした。 暗くてよくわからなかったが、ぼくたちが歩いている所は、どうやらソープ街らしかった。 歩いている途中に、何度か声をかけられた。 「3人さん、いい子いますよー」 怒りの収まらないぼくは、大声で怒鳴った。 「しゃーしい(せわしい)、黙っとけ。お前に用はないんたい!!」 びしょ濡れだったし、かなりすごい形相だったのだろう。 それまで威勢のよかった呼び込みのヤンキー風兄ちゃんは、急に声を落とし「すいません」と言った。
ホテルに帰ってから、ぼくたちはそのことをみんなに話した。 「この辺のタクシーはグルみたいやけ、気をつけとったほうがいいよ」 そんな話をしているところに、Sという男が帰ってきた。 ぼくが「そういえば、お前もあの店におったのう。あれからどうしたんか」、と言うと、Sはニヤニヤ笑うだけで、何も答えなかった。 「ふーん、そうなんか。やっちゃいましたか。お前はバカか」 その後、ぼくはSを見るたびに、「お前、病気もらってない?」と言うようになった。 Sはその話をすると、いつもニヤニヤしていた。 よほどいい思いをしたのだろう。
この旅行の帰り、那覇空港に行くバスの中で、またその店の話が出た。 「その店どこにあるんね?」 「知らん。タクシーが勝手に連れて行ったけ」 そんな話をしていると、バスがある店の前で止まった。 「お土産買う人はここで買って下さい」とガイドさんが言った。 お土産屋の前に、見覚えのある店が見えた。 その店の名前を見ると、『フェニッ○ス』と書いている。 「あの店の名前『フェニッ○ス』やなかったか?」 「そういえば」 ぼくは、大きな声でみんなに言った。 「おい、あの店、あの店。あれが例の店」 場所は那覇港の近くだった。 ということは、初日に泊まったホテルのすぐ近くじゃないか。 「タクシーの奴、こちらが知らんと思って、遠回りしたんか」 そう思うと、また頭にきた。
しかしそのことで、ぼくは沖縄を嫌いにはならなかった。 あの晩のことを除いては、いい思い出ばかりだったからだ。 最初に言ったとおり、風土も匂いもぼくに合っている。 「今度来る時は、民謡酒場のある場所をちゃんとチェックしておこう。 そこ以外には、絶対行かない」 そのことを肝に銘じた。
さて翌年、前年と同じく社員旅行は沖縄だった。 「今度こそ民謡酒場に行くぞ」、と意気込んで那覇の街に出た。 その時は5人で行動した。 那覇港にあるステーキを食べに行って、いよいよ松山の民謡酒場に行くことになった。 しかし、場所がはっきりしない。 1時間ほど探したが、それらしき店は見当たらない。 誰かが「もう時間がないけ、他のところに行こうや」と言った。 ぼくも民謡酒場に未練は残ったが、こうやっていても埒が明かないので、その意見に従った。 「じゃあ、どこに行こうか?」 すると、一人の後輩が「さっき、いい所がありましたよ」と言った。 じゃあ、そこに行こう、ということになった。
後輩はさっさと先頭を歩き、ある店の前で止まった。 「ここです」 唖然とした。 ぼくらは後輩に文句を言った。 「お前、沖縄に来てまで、こんな所に来んでもいいやろ。小倉で見ときゃいいやないか」 「いいじゃないですか。時間もないことだし。付き合ってくださいよ」 後輩の言うとおり、時間がない。 しかたないので、後輩に付き合うことにした。 その店の看板には、『本番、まな板ショー』と書いてあった。 そこは、どこにでもあるストリップ小屋だった。
翌年の社員旅行も沖縄だった。 夜になり、何人かの人が「しんちゃん、遊びに行こうやと誘いに来た。 しかし、2年連続で後味の悪い思いをしているぼくは、夜の沖縄には行く気がしなかった。 「行かん」と言って、すべて断った。 夜は寝るためにあるものである。 それを沖縄は教えてくれた。
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