今日、5千円札を見ていて思ったことがある。 このお札には、新渡戸稲造の肖像が載っている。 しかしこの新渡戸稲造、福沢諭吉や夏目漱石と比べると、かなりなじみが薄い。 ぼくも、『武士道』を書いた人だ、程度の知識しか持っていない。
『新渡戸稲造』、実に書きづらく読みにくい名前である。 初めてこの名前に触れた人は、きっと何と読んでいいのかわからなかったはずだ。 ぼくも初めてこの名前を見た時は、何と読んでいいのかわからなかった。
ところで、子供から「この人、何をした人?」と訊かれて、明確に答えることのできる人が、全国民の何パーセントいるのだろうか? 「世界に日本の文化を紹介した人」と言っても、子供たちにはピンとこないだろう。 仮に「日本の文化を紹介したら、お札に肖像画を載せてもらえる」と理解されたら、ちょっと困ったことになる。 「ということは、次は海外で活躍している電撃ネットワークの番か」と真剣に思う子も出てきて、彼らに続けとばかりに、南部虎弾のような頭をしたり、マジックインキを飲んだり、尻に花火をつっこんだりするかもしれない。
そこでぼくは考えてみた。 子供に新渡戸稲造のことを教えようと思っても、無駄なことである。 まず、名前が読みにくいというのが致命的である。 次に、「天は人の上に・・・」や「知に働けば角が立つ・・・」といった名文句を残していない。 さらに他の二人に比べると、試験に出る率が低い。 こういう人のことは、学者先生や歴史家に任せておけばよいのだ。
では、5千円はどうやって説明しようか。 さらにぼくは追及してみた。
子供「5千円札に載っている人は誰ですか?」 しんた「新渡戸稲造です」 子供「知らないなあ」 しんた「でもね、あの画は違う人なんだよ」 子供「え、誰ですか?」 しんた「君もよく知っている人です」 子供「え?」 しんた「5千円に載っている人、それは、」 子供「それは?」 しんた「マギー司郎です」 子供「え、マギー司郎なんですか?」 しんた「そうです。よく見てごらん」 子供「あ、ホントだ!!どうしてマギー司朗が載ってるんですか」 しんた「肖像画をすり替えるマジックやったの」
「子供にそんな嘘を教えてはいかん」 と、お叱りを受けるかもしれない。 しかし、5千円札の人が新渡戸稲造と知ってなんの役に立つんだろう? 先にも言ったが、試験に出るわけでもないし。 せいぜい「笑っていいとも」の、クイズの問題にされるくらいのものである。 それよりも、マギー司郎が載っていると思ったほうが、楽しくていいじゃないか。 マジックで画をすり替えたと思ったほうが、想像力が育つじゃないか。 楽しいということは、人生が豊かになるということだ。 想像力は、人間の生きる糧だ。 教育とは、人生の豊かさを教え、想像力を育てることである。
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