そうか、全然気にもとめてなかったけど、学生は今春休みなんだ。 それで、店内をガキどもが走り回っているわけか。 今の子供たちは、外で遊ぶようなことをしないのかなあ。
ぼくが小学生の頃は、春休みといえば『ダンチン(ビー玉)』だった。 人が集まれば、『ダンチン』をやっていた。 主に家の前の広場でやっていたのだが、時には隣の町内へ遠征に行ったりもしていた。 ポケットにダンチンを詰め込んで、ジャラジャラやって歩いていたものである。 ポケットがより膨らんでいる奴が、強い奴ということになる。 「穴入れ」「三角打」「インキョ」といったゲームをやっていた。 要は賭け事である。 数を賭けて、そういったゲームをやるのである。 最終的に相手のダンチンに当てたら勝ち、という単純なものだった。 だいたい卑怯な奴が勝つゲームだった。
ぼくの住む地域では、野球もこの時期から始まった。 やはり、高校野球やプロ野球開幕の影響があったのだろう。 誰かがバットとボールを持ってくると、自然に人が集まってくる。 そこで適当にチーム分けし、試合が始まる。 広場が狭かったため、いつも三角ベースでやっていた。 広場が内野で、道路が外野、ホームランは人の家であった。 ただ、ホームランになるのは、ボールが飛び込んでも叱られない向かって左側、つまりレフト側の家だった。 反対側、つまりライト側の家は、ドラえもんに出てくる『神成さん』のような親父が住んでいた。 ボールがそこに飛び込むと、いつもその親父が怒鳴りながら出てきて「ここで遊ぶな!」と言っていた。 したがって、この家にボールが飛び込むとチェンジになる。 さらに、ボールは打った人が取りに行かなければならない。 このルールは、左打ちのぼくには厳しいものだった。 満塁でぼくに打席が回ってくると、相手はわざと打ちやすい球を投げてきたものだ。 注文どおり、ぼくはライナーで『神成さん』宅にぶち込んでしまう。 これでチェンジだ。 もちろん、叱られるのはいつもぼくだった。 しかし、何が幸いするかわからないものである。 そのおかげで、ぼくは流し打ちを覚え、クラス対抗や子供会の野球大会、さらには社会に出てからの早朝野球では重宝がられたものだった。
春休みの楽しみがもう一つあった。 そう、ちょうど今頃の新聞に載る、公務員の人事異動である。 別に、お役所関係の異動はどうでもよかった。 ぼくが関心を持っていたのは、教職員の異動である。 毎年新聞を広げては、目を凝らして人事異動の欄を見ていた。 転任してくる先生は、自分の小学校の欄を見ればすぐにわかるのだが、転任して行く先生を探すのは大変だった。 当時八幡区には30以上の小学校があった。 それを一校一校、隈なく探していくのである。 時には他の区や郡部に転任して行く先生もいるのだから、その欄もおろそかにできない。 根気のいる作業だったが、やりだすとこれが楽しい。 その中に、過去に担任だった先生の名前や、一度でも叱られたことのある先生の名前が入っていると、「ザマーミロ、おれを叱るけたい」と思ったものである。 しかし考えてみると、逆に「やったー、もう『バカしんた』の顔を見なくてすむ」と思い、喜んで転任していった先生もいたのかも知れない。 どっちもどっちである。 直接ぼくと接触のない先生でも、一般に恐いと言われている先生には転任してもらいたいというのがあった。 もし、そういう先生が担任にでもなったら一大事だからだ。 2年間は同じ先生だから、いつもソワソワしていたぼくにとって、これは地獄である。 とにかく、そういう可能性もないとは言えないので、一応心の準備をしておくためにも、そういう先生が転任するかどうかを確かめておかなければならない。 その意味でも、教職員の人事異動の記事は役に立った。
春休みには宿題がなかったということもあり、一年で一番のんびりしていた時期である。 しかし、すぐ終わるのがたまにきずだった。
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