今日は終日雨であった。 雨がやんだら、本屋にでも行こうと思っていたのだが、いっこうにやむ気配がなかった。 ということで、今日は一日家の中にいた。
「春に三日の晴れ間なし」という言葉があるそうである。 そういえば、ここ何週間か休みの日には必ず雨が降る。 それも、晴れ間のひとかけらもないのである。 休みの前後の日は必ず晴れているのだ。 これはどうしたことだろう? ぼくは決して『雨男』ではない。 要所要所では必ず晴れているから、どちらかと言うと『晴れ男』に近いと思っている。 まあ、これも巡り合わせの問題なのだろうと思い、諦めている。
しかし、休みの日に晴れ間を拝めないと、何か損をした気がするものだ。 先日、あるアンケートで「一日のうちで、どの時間帯が好きですか?」という質問があった。 ぼくは躊躇せず「夕方」と答えたのだが、これも「晴れていれば」という条件付きでのことだ。 曇天や雨天の夕方は大嫌いである。 ぼくの部屋の窓から見える工場街の灯りが、何かしら寂しく感じるものだ。 ぼくの嫌いな冬の情景を、そこに重ねてしまうからだろう。
雨が降ると、何をする気も起こらない。 ここまで雨に見舞われると、家の中で運動することも嫌になる。 次の休みがどうなるかはわからないが、もし雨だと、また家にくすぶってしまい、また『妖怪ハラマワリ』を巨大化させることになってしまう。 この悪循環を断ち切るためにも、来期は休みのローテーションを変えてみようかなあ。
ぼくが勝手に「雨が似合う街」と思っている場所がある。 東京の銀座、京都市内、島根の津和野、福岡でいえば太宰府と秋月、大分の日田、那覇の国際通りなどである。 那覇の国際通り以外は、傘を差して歩くのが絵になるのである。 最初にそれを感じたのは銀座だった。 雨に濡れる三越のライオンを見て、ふとそう思ったのである。 その時から、銀座は風情があっていいな、と思うようになった。 古都や小京都と呼ばれるところは、だいたいおわかりいただけると思う。 では、那覇はどうしてか? 答は、スコールが好きだからである。 那覇には何度か行ったことがあるが、そのたびにスコールに見舞われていた。 突然の土砂降りというのは、気持ちがいいものである。 腹の底から「今生きている」というものが、湧き出てくるような気がするのである。 そういうことは、北九州にいても夕立などで味わえるのだが、那覇に比べると、その頻度は低い。 やはり、那覇が本場という気がするのである。 しかし、いくら雨が似合う場所といっても、雨が降るとどこに行く気も起きないのだから、なかなかそういう場所に行く機会がない、というのが現状である。
昨日の原体験ではないが、ぼくが小さな頃、雨が降るとよく前の川が氾濫していた。 橋を隔てた向こう側は、かつて「死の海」と謳われた洞海湾である。 したがって家の前の川も、昔は腐ったような臭いがしていたものだった。 そういう川が氾濫するということは、毒をばら撒かれているのに等しいことだ。 「汚いけ外に出るな」と言われていたが、子供たちがそういうことを聞くはずがなく、皆外に出て冠水した道路におもちゃの船などを浮かべて遊んでいた。 しかしよく考えると、その船は、またお風呂に浮かべるのである。 こんなに汚い話はない。 きれいに洗えば問題ないのだろうが、洗ったような記憶がない。 そういえば、よく溝の中で浮かべていた潜水艦のプラモデルも、洗わずに風呂に浮かべていたような記憶がある。 ああ、ぼくはなんと罪深いことをしてきたのだろう。 もしかしたらこの白髪は、その時の後遺症なのかもしれない。
もうそろそろ寝ようと思うが、外は・・・、 えっ、晴れとるやん。 月がこうこうと夜の街を照らしている。 くそー、休みを返せー!!
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