店に来るお客さんにもいろいろな人がいる。 変に理屈っぽい人。 きつい香水をつけてくる人。 酔っ払って他のお客さんに迷惑をかける人。 わざわざおならをしていく人。 道の達人。 ・・・などなど、あげるときりがない。
ぼくの売場の人間が『冠二郎おばちゃん』と呼んでいる人がいる。 以前は、店に来ると必ずカラオケテープのコーナーを覗き、ぼくたちを捕まえては「冠二郎の新曲は出てないね?」と訊いていた。 出ていた時は、「そうね!出たね!」と目を輝かせ、うれしそうな顔をして買っていく。 しかし、それから1週間もせずにやってきて、また「冠二郎の新曲は出てないね?」と同じことを訊く。 いくら冠二郎がプロの歌手とはいえ、毎週新曲が出るはずがない。 そのことをいつも『冠二郎おばちゃん』に説明するのだが、次に来た時にはやはり同じように「冠二郎の新曲は出てないね?」と訊いてくる。 「おばちゃん、この間新曲出したばかりやないね。冠二郎も忙しいんやけ、そうそう新曲は出せんのよ」 おばちゃんは、「そうよねえ」と言って帰っていく。 しかし、またやってきては同じことを訊いてくる。 ぼくたちはその熱心さに敬意を表して、そのおばちゃんを『冠二郎おばちゃん』と呼ぶことにした。
『冠二郎おばちゃん』、おばちゃんとは言うものの、もう70歳を早く過ぎたおばあちゃんである。 いつもカートを歩行器代わりにしてやってくる。 「わたしはねえ、遠くから歩いて来よるんよ」、といつも言っている。 「おばちゃん元気いいね。どこに住んどうと?」 しかし、その問には答えてくれない。 とにかく、『遠くから』と『歩いて』というのがキーワードのようだ。 それがこのおばちゃんの元気の源なのであろう。
一時期、このおばちゃんが顔を見せなくなったことがある。 昨年秋から今年の初めにかけてである。 カラオケテープの整理をするたびに、うちの女の子は「最近『冠二郎おばちゃん』来んねえ」と言っていた。 「おそらく死んだんよ」とぼくが言うと、「そんなこと言ったら、かわいそうじゃないですか」とその女の子は言った。 「でも、けっこう歳やったし、死んでもおかしくないよ」 「それもそうですね」 ぼくの働いている店のある地区はお年寄りが多いため、以前よく来ていた人が長い間来ないというのは、だいたい入院しているか死んでいるかのどちらかを意味している。
ところがどっこい、『冠二郎おばちゃん』は健在であった。 2月のある日、ひょっこり顔を見せた。 おばちゃんはカラオケテープの前に立っていた。 「やばい」と思い、ぼくたちは隠れた。 捕まると大変なのである。 「冠二郎の新曲は出てないね?」だけならまだいい。 そのあと、冠二郎がいかに素晴らしいかを、とくとくと言って聞かせてくれる。 人のいいぼくたちは、無視することもできずに、話を聞いてやることになる。 捕まったが最後、短くて10分、長い時は30分は他の事ができない。 「うん、うん」とうなずくだけでも、かなりの労力を要する。
ある日売場に立っていると、『冠二郎おばちゃん』がぼくの横を素通りした。 何度かぼくの横を素通りした後で、「ここの人はおらんのかねえ」と言った。 「おばちゃん、ここにおるやん」と言うと、「ああ、気がつかんかった」とおっしゃる。 「何でしょう?」と訊くと、「ちょっと来て」と言う。 ぼくをよその売場に連れて行って、「これが欲しいんやけど」と言った。 そこに係がいたにもかかわらず、わざわざぼくを呼びに来たわけである。 その商品は収納ケースであった。 そして、「わたしは遠くから歩いてきた・・・」が始まった。 「あんたは知らんかもしれんけど、わたしはねえ、いつもここを利用しよるんよ。この間もクリーナー買ったし」 まるでぼくと初めて話すような言い方をする。 この間クリーナーを売ったのはぼくである。 「はい、いつもありがとうございます。冠二郎も買ってもらってますし」 とぼくが言うと、 「そうよ。冠二郎はねえ・・・」 いらんことを言ってしまった。 また延々と冠二郎話が始まった。 約10分、冠二郎は終わった。 レジに収納ケースを持って行くと、おばちゃんは「このケースを、カートに結び付けてくれ」と言う。 そしてまた、「わたしはねえ、遠くから歩いてきた」と言い出した。 ぼくはそれをさえぎるように、「はい、わかりました」と言い、ケースをカートに結び付けた。
それから『冠二郎おばちゃん』は、店に来るたびにぼくを探すようになった。 収納ケースを買うためである。 二つばかり買っては、「カートに結び付けてくれ」と言う。 ぼくはそのつどケースを結び付けてあげた。
今日の話である。 また『冠二郎おばちゃん』がやってきた。 いつものように収納ケースを買うためである。 ぼくを見つけると、「ああ、あんた探しよったんよ」と言う。 そこでぼくは「お待ちしてました」と言った。 「今日もねえ、ケースが欲しいんやけど」 「今日はいくつですか?」 「二つちょうだい」 ぼくはいつものようにケースをレジに持って行き、カートに結び付けた。 『冠二郎おばちゃん』は「いつも悪いねえ。うちの者が『家に車があるんやけ、それで運んだらいいやないか』と言うてくれるんやけど、いつも『あの店に行ったら、ケースをカートに結び付けてくれる人がいてねえ』と言って断るんよ」とのたまう。 『冠二郎おばちゃん』はどうやらぼくのことを、『ケースをカートに結び付けてくれる係の人』と思っているようである。
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