「もう初夏やん」と思えるほど、今日は暑かった。 職場は熱気でムンムンしている。 ぼくは、ユニホームであるジャンバーの袖をまくりあげ、下にはTシャツ1枚という夏の装いをしていたが、全身汗ばみ、頭は痒くなる。 タバコを吸いに外に出ると、日差しが強く、店内とはまた違った暑さがあった。 いつも腰をかけているパレットは焼け付き、まるでオンドルの上に座っているようだった。 なんでも、今日の福岡の最高気温は24度、これは5月中旬の陽気だそうである。 気温がもう1度上がっていれば夏日である。 テレビの天気予報では、水着を着た子供が浜辺で遊んでいる姿を映し出していた。 桜も例年より早く咲いている。 桜が咲けば、当然花見をする。 が、ちょっと待てよ、まだお彼岸じゃないか。 本来なら花見ではなく、墓参りに行く時期なのである。 花見や海もいいけれど、明日は春分の日、ちゃんと墓参りに行ってください。 かく言うぼくは、昨日墓参りに行ってきた。 前にも言ったが、墓とはいってもお寺の納骨堂なので掃除はいつも行き届いている。 ぼくたちがやることといえば、「お寺に行き、お供え物をし、拝み、本尊にお賽銭を上げ、帰る」という、簡単なものである。 しかしこんな簡単な墓参りでも、行くと行かないとでは大きな違いがある。 行くと、なぜか安心するものだ。 別に墓参りに行くのに、目を輝かせて、 「今日は墓参りだから気合を入れて行こう」 などとは思っていない。 なんとなくお墓に行って、なんとなく帰るだけである。 拝むといっても、念仏やお経を唱えるわけではない。 ましてや、「ああしてくれ、こうしてくれ」と願い事を言うわけでもない。 ただ軽く手を合わせるのみである。 逆に行かないと、何か落ち着かない。 この落ち着かない気持ちが、次のお参りまで続く。 何か事件が起きるたびに、 「そういえば、墓参りに行かなかったからなあ・・・」 といつも後悔してしまう。 別に「墓参りに来なかった」と言って先祖に恨まれているわけではないだろう。 「墓参りに行ってない」という後ろめたさが、そう思わせているだけのことである。 要は気持ちの問題、ということか。
そういえば、ぼくは墓参りには行くけれど、家の仏壇にはめったに手を合わさない。 よく金縛りにあうと言っているが、もしかしたらそれは、先祖が「手を合わせろ」と言いに来ているのかもしれない。 そういえば以前母が、 「仏壇に水をやり忘れると、決まって金縛りにあう」 と言っていた。 霊ののどが渇くとは思えない。 まあ、それも気持ちの問題なんだろう。
再び天気の話に戻るが、明日は雨が降るらしい。 この雨を境に冷え込むらしい。 冷え込むと言っても、平年の気温に戻るということだろうが。 今年の気象は異常である。 しかし、この異常も何年か続けば、平年扱いにされるだろう。 そうなるとこの時期は、「三温四暑」と呼ばれるようになるのだろうか。
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