| 2002年03月13日(水) |
彼岸前になると思い出す話 |
もうすぐ彼岸である。 おそらく来週の火曜日の休みは、墓参りで潰れるだろう。 まあ、墓参りといっても、うちにはお墓がないので寺の納骨堂に行くわけである。 場所は市外で、車で20分ほどいった所にある。 以前は市内の繁華街にあるお寺に納骨していたのだが、ある事情があって寺替えをしたのだ。
その事情とは、寄付である。 先々代の頃はまだよかった。 先代の時代にそういう兆しが出始め、現住職になって寄付ばかり言ってくるようになった。 現住職は、先代が悪業の報いで急死したために、急遽長男が後を受けついたのである。 寄付といっても桁が違う。 やれ西本願寺の修復だ、やれ蓮如上人の生誕何百年祭だ、などと言っては何十万円単位の額を要求してくる。 挙句の果てには、「納骨壇が古くなったので、新しいものに替えませんか?」と言ってくる始末だ。 その納骨壇にも、特上・上・並のランクがあり、特上になると百万円を超えているものもあった。 いくら立地がいいといっても、百万円も出すくらいなら新しい墓を建てたほうがましである。 ということで、「当分今までので我慢します」との返事をしておいた。 おそらく他の檀家も反対したのだと思う。 いつの間にか納骨壇についての話は出なくなった。 しかし小額の寄付の嵐は続いた。
それからしばらくして、事件が起こった。 寺の隣の家が火事になったのだ。 その寺は密集地にあったために、納骨堂に飛び火してしまい、内部までは火は回らなかったが、屋根や壁を焼いてしまった。 当然こういう場合は、火災保険で賄うはずである。 しかし、住職はそれでは足りないと思ったのか、納骨堂修復の寄付を募った。しかも、たち切れになっていた納骨壇の話が、再び浮上してきたのだ。 家事騒ぎからしばらくして、寺から郵送物が届いた。 その中には、火事についての詫び状と、納骨堂修復の寄付のお願いを書いた書類、納骨壇のパンフレットが同封されていた。 納骨壇のパンフレットには、「分割払いOK!」の文字が見えた。 住職は火事にかこつけて、ついに商売を始めたのである。 さらに追伸書が入っていて、「今回特上の納骨壇をご注文された方には、優先的に納骨壇を阿弥陀様の並びに配置させてもらいます」と書いてあった。 元々うちの納骨壇は阿弥陀様の並びにあった。 その権利は、その寺に入った時に買ったものだった。 そういう契約も、この住職は簡単に反故にするのだ。 では、今のままの納骨壇で充分という人はどうなるのか? それに対しては、「古い納骨壇のかたは、末席にておまつりさせてもらいます」と書いてあった。 つまり、貧乏人は相手にしないと言うことである。 その追伸書は、さらに続く。 「今回納骨堂の一部だけを修復しようと思いましたが、さらに収容数を増やすべく、今までの1,5倍ほどのものに改築したいと思います。つきましては、その工事の間、遺骨のほうは各ご家庭にて丁重に保管して置いて下さい」 寄付と納骨壇の費用を合わせると、最低でも80万円はかかる。 もはやこれまでだ。 「こういう寺に遺骨を預けておいたら、いくら金があっても足りない」という結論に達した。
そういう理由から現在の寺に移したのである。 同じ西本願寺派の寺なのに、寄付はほとんど言ってこない。 一度「駐車場を整備しますから」という理由で寄付を言ってきたことがあるが、その時の額は4万円ほどだった。 年間の管理費も4千円程度である。
さて、以前の寺のことだが、十数年前に先代が悪業の報いで早死にしたため、長男の現住職が後を継いだのである。 当時彼は大学生だった。 そこで檀家が集まって、寄付金で大学に通わせようということになったのである。 そういういきさつも忘れて、檀家から金を巻き上げようとするとは。 恩知らずもいいところである。 そういう資質を見抜いて、阿弥陀様は火をつけたのかもしれない。 なぜあの時、火事を仏罰と受け止めなかったのだろうか? なぜそれを商売のネタと考えたのだろうか。 郵送物送った後に、その寺は急激に檀家が減ったそうである。
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