ぼくがお笑いを好きになったのは、『おそ松君』の影響が多分にある。 小学生の頃読んだ少年サンデーの『おそ松君』は、当時のお笑いのギャグのオンパレードだった。 「やんな!」「びっくりしたなあ、もう」「親亀の背中に・・・」「いやーん、いやーん」などは、すべて『おそ松君』で知った。 それからぼくはお笑い番組を見るようになった。 特に日曜日になると『大正テレビ寄席』を始めとして、いくつかのお笑い番組があった。 ぼくが当時好きだったのは、「獅子てんや瀬戸わんや」「てんぷくトリオ」「林家三平」「三遊亭歌奴」「Wけんじ」、それと「ドリフターズ」だった。
「てんやわんや」はわんやさんの、クールかつ過激なつっ込みといじめが好きだった。 たまに昔の漫才をやっているが、当時のてんやわんやは今見ても笑える。 おそらく漫才では、「やすきよ」や全盛期の「ツービート」「B&B」でもかなわないだろう。
「てんぷくトリオ」はなんといっても、伊東四朗だった。 彼の飄々としたボケぶりが好きだった。 解散後、三波伸介が人気を博した時期があった。 ちょうど三波が『笑点』の司会をやっていた頃だが、その頃三波を見るたびに「伊東四朗はどうしてるんだろう」と思っていた。 小学6年でぼくのお笑い番組好きは一応幕を閉じるが、それから「見ごろ食べごろ笑いごろ」を見るまで、ぼくは伊東四朗にはお目にかからなかった。 ベンジャミン伊東を見たときは、正直うれしかった。 ぼくはこの「見ごろ食べごろ・・・」は毎週欠かさず見ていた。 キャンディーズが出ているというのもあったが、一番の理由は伊東四朗に会えるからだった。 後に「ヤクルトタフマン」のCMに彼が出ているのを見た時は、『これぞ伊東四朗だ』と思ったものである。
「林家三平」は以前ここでも書いたが、ぼくは後ろでアコーディオンを弾いている人が好きだった。 あの無表情さが特によかった。 「三遊亭歌奴(今の圓歌師匠)」を知ったのは、例の「山のアナアナ」が一世を風靡した時期だった。 しかしぼくにとって「山のアナ」はどうでもいいことだった。 三平をけなすのを見るのが好きだったのだ。 新宿末広亭の中継の時だったと思うが、歌奴がいつものように三平をけなしていると、突然三平が乱入してきたことがある。 おそらく打ち合わせしていたのだと思うが、あれは面白かった。
「Wけんじ」は宮城けんじ。 この人の、無表情に淡々と話すのがおもしろかった。 「やんな」というギャグがあったが、ぼくは使ったことがない。
そして「ドリフターズ」。 ぼくは「全員集合」よりも、「大正テレビ寄席」に出ていた頃のドリフのほうが好きだった。 全員集合のほうは、いつもネタに追われているようで、ギャグに余裕がなかったように感じた。 テレビ寄席の頃はネタを充分に練っていたので、安定した面白さがあった。 もちろん加藤茶がメインであったが、他のメンバーも面白かった。 ちなみに、ぼくは荒井注のファンだった。
かつて『お笑い』を見ていた頃は、腹の底から笑っていたものだった。 しかしそういう笑いも、「コント55号」を最後に終わってしまった。 中学生になってからは、そういう番組を見ても、ぼくはあまり笑わなくなったのだ。 おそらく小学生の頃に、一流のお笑いを見てしまったせいであろう。 その後、80年のマンザイブームまで『お笑い』に対する笑いを忘れていた。 笑いを思い起こさせてくれたのは「B&B」であった。 あのスピード押してくるマンザイは、驚きでもあった。 しかし、彼らも時代の波とともに消えていった。
最近は「爆笑問題」や「大木ひびき・こだま」が好きである。 しかし、「爆笑問題」はトークが中心になってしまって、なかなか芸を見る機会がない。 「ひびき・こだま」はワンパターンになりつつある。 誰か、ぼくを笑わすやつが出てこんかなあ。
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