頑張る40代!plus

2002年03月05日(火) ぼくは過去2回入院したことがある  その4

集中治療室は2階のナースステーションの横にあった。
集中治療室といっても、ベッドがひとつ置いてあるだけの殺風景な部屋だった。
十年前と同じように、点滴の針を刺されたまま寝ることになった。
ぼくは「またか」と思った。
このまま寝ると腕が凝ってしまう。
身動きが取れないから、腰も痛くなってくる。
拒否すると病院を追い出されてしまうから、『まあ、今回はのどが渇いてないだけいいや』と思い、我慢して点滴を受けることにした。
何はともあれ、横になることが出来た。

その日の出来事を思い起こしながら、いよいよ眠ろうとした時だった。
どこかの部屋から、ヒソヒソ声が聞こえてきた。
『何て言ってるんだろう?』と耳を澄まして聞いていると、その声はだんだん大きくなり、「ナンマンダブ、ナンマンダブ」と吼えだした。
『何かここは!?』
ぼくは不気味さを感じながら、その声を聞いていた。
すると声はだんだん小さくなった。
『何だったんだろう?』と思いながらうつらうつらしていると、またヒソヒソ声が聞こえてきた。
さっきと同じようにだんだん声は大きくなり、「ナンマンダ!」と吼えて終わる。
これが何度も何度も続くのだ。
『ナースステーションには宿直がいるのに、何で注意しないんだろう?他の患者の迷惑になるじゃないか』
そう思いながら、ぼくはもうひとつのことを考えていた。
『もしかして、あの声が聞こえるのは、おれだけじゃないだろうか』
しかしこの考えを展開していくと怖ろしくなるので、なるべく考えないようにしていたが、考えまいとすればするほど、よけいにそのことを考えてしまう。
ぼくのほうが「ナンマンダ」と唱えたい気分だった。

夜が明けて、ぼくは寝不足状態で先生の診察を受けた。
先生は「もう大丈夫みたいですね。帰っていいですよ」と言った。
ぼくは『ナンマンダ』のことを聞いてみようかと思ったが、やめておいた。
もし「ああ、聞こえましたか。やっぱり・・・」などと言われたら、それこそ気分が悪くなる。
ぼくは支払いを済ませて、病院を出た。
もちろん朝食はもらえなかった。

外は雨が降っていた。
当然傘は持ってない。
とにかく駅に行けば何とかなる、とぼくは日田駅を探した。
日田にはそれまで車で何度か行ったことはあるのだが、歩くのはこれで2回目だった。
しかも、最初に歩いたのは駅前だけだったので、駅を離れた場所を歩くのは初めてだった。
標識と勘だけが頼りである。
行ったり来たりしながら、ようやく駅に着いた。
病院を出てから1時間以上が過ぎている。
もう全身びしょ濡れだった。
駅に着くと、ぼくはすぐさま昨日一緒だった友人に電話をした。
「今から帰るけ」と言うと、友人は「迎えに行こうか?」と言った。
しかし、迎えに来るのを待っていると何時間かかるかわからない。
ぼくは一刻も早く日田から抜け出したかったので「せっかくだけど」と言って断った。
それから30分ほどして列車が着いた。
ぼくはその列車に乗り、北九州まで戻った。

・・・と4日前、ぼくはトイレの中でいろいろなことを思い出していた。
『そうか、2回も入院したか。これは勲章やの』
しかし、書くのに4日間もかかることを、座った状態で考えていたのか。
そのせいか今は、尻が痛い!!


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