「ああ、今日もこの扉を開いてしまった」という気持ちで、この日記のエディタを開いた。 「今日はいったい何を書くんだ?」と自分に問いかけるが、答はいつも「・・・」である。 こういう時、ボブ・ディランなら「その答は、ただ風に舞っているだけさ」(風に吹かれて)と答えるだろう。 無責任な「答」である。 結局は「わからん」と答えているに過ぎないのだから。 しかし、この「答」が60年代初頭のアメリカ人の心を捉えた。 そこからディランの人生が変わってくる。
ディラノジストという人たちがいる。 ボブ・ディランの研究者、つまり「ボブ・ディランおたく」である。 「この歌詞は、○○を意味しているのだ」などとのたまっているらしい。 ディランの詩は実に難解である。 おそらく誰も理解できないだろう。 しかし、「われこそはディランの一番のファンである」というのを誇示している連中は、それではすまされない。 そこでディランの歌詞に、いろいろと解釈をつけだした。 その解釈というのが、実は「こじつけ」なのだ。 しかし世間は、「あの“答”を与えてくれたディラン様を研究している人たちのいうことは正しい」と思うようになった。 ディラノジストの解釈は、実にさまざまである。 中には哲学的解釈をしている人たちもいる。 世間はそういう解釈を受け入れた。 そのおかげで、ディランはついに哲学者と呼ばれるようになった。 最初はディラノジストの解釈を否定していたディランも、哲学者と言われて悪い気はしない。 彼も哲学者として振舞うようになった。 今ではアメリカの英雄である。
拓郎の影響もあってか、ぼくは高校時代からボブ・ディランを聴くようになった。 今でもそうだが、ぼくはレコードを買ったら一番に歌詞カードを見る。 初めてディランのレコードを買った時もそうだった。 「拓郎も気に入っているくらいだから」と期待に胸を膨らませて、歌詞カードを見た。 「・・・。何か、これ・・・」であった。 はっきり言って無茶苦茶だった。 しかしその時は、「これを理解するだけの経験が足りんのやろう」くらいに思っていた。 聴くほどにディランが好きになり、自伝なども読んだ。 しかし彼の生き方などはわかるものの、詩のほうはいっこうに理解できないままでいた。 それから後、自分なりの詩が書けるようになって、ふと思ったことがある。 「もしかしたらディランの詩は、語呂のよさだけで言葉を並べたものじゃないのか」 そういえば、ディランはよくライブで歌詞を変えて歌っていると言う。 多分それは、単語を並べただけの歌詞だから、覚えることが出来ないのではないか。 「関連のない単語を100個覚えろ」と言われても、そう簡単に覚えられるものではない。 イメージが浮かばないからである。 と言うことは、自分の作った詩を覚えられないと言うのは、イメージが浮かばないということであろう。 なぜ、イメージが浮かばないか? それは、詩に意味がないからである。 これに気づいてから、初めてディランを歌手と思うようになった。 実に味のある声である。
アメリカ国民も、そろそろディランを解放してあげたらどうだろう。 まあ、自分たちが勝手に哲学者に仕立てたのだから、引っ込みがつかんか。 ボブ・ディランはいつまでも風に舞ったままである。
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